デイヴィッド・ヴォイナロヴィッチ(サイト)

さて話は飛ぶが、完全に無関係ではない。僕が特異な芸術家ヴォイナロヴィッチの名前を知ったのは椹木野衣の名著『シミュレーショニズム』(ISBN:4480086358)からだった。少し長くなるが紹介文を引用させてもらう。何か感じるところのあった人は本を買ってほしい。

デイヴィッド・ヴォイナロヴィッチは、エイズによって、1992年にわずか37歳で他界してしまいましたが、絶対に見過ごすことにできない作家です。(…中略…)

ヴォイナロヴィッチの生い立ちは壮絶の一言につきます。幼いころに両親が離婚、父親に受けた想像を絶する虐待(殴打は日常茶飯事、父親が室内で銃を発砲し、ペットの小鳥やウサギを撃ち殺すところを無理矢理見せられ、しかも夕食で食べさせられたという)から逃れるため、小さなヴォイナロヴィッチにとっては、近くの森が唯一の避難所となり、ヘビや小動物と遊びながら一日の大半を過ごしました。そのためか彼は、一生涯小動物に特別な愛情を示し、愛する小動物をモチーフに多くの作品を作りました。また、同性愛者であることによって、その後もたえまない差別を受けつづけます。自殺を考えない日はなく、その精神的ショックから、からだをいっさい洗わなくなり、ついには浮浪者と化しました。何度も死と隣り合わせになりながらも、20歳のときにジュネとバロウズの文学を読んで、ひとは社会が突きつける多様性に対する嫌悪を超越することができることを確信します。

彼の活動は実に多岐に渡る。写真、絵画、文章(『ナイフの刃先で』ISBN:4886825907)、インスタレーション、映画・・・。一例をあげれば、U2の"One"(ASIN:B000001G41)に使われた断崖から落下するバッファローの写真は彼の作品である。
上の引用では触れられていないが、ヴォイナロヴィッチの「救世主」として欠かすことのできないもう一つの名前がある。20歳年上の著名な写真家ピーター・ヒュージャー、2人はヴォイナロヴィッチ27歳のときに出会った。今まで彼が一度も持つことがなかった友人、恋人、親、教師として、ヒュージャーはヴォイナロヴィッチの芸術的開眼を助けた。
出会いから6年後、ヒュージャーもまたエイズのため死すこととなる。ヴォイナロヴィッチはいわば彼の死を悼む作品として"When I Put My Hands on Your Body"(1990)を完成させる。埋葬地の発掘現場の写真にオレンジのテキストを重ね合わせた強烈な緊張感に満ちた作品だ。さて、ここでようやく本題。このテキストの最後の一文が"All these moments will be lost in time like tears in the rain"なのである。この文はあまりに有名な『ブレードランナー』(1982)のバティの最期のセリフでもあるのだが、この2つの関係はどうなんだろうか? ヴォイナロヴィッチが(無意識に?)引用したものなのか、独立にそれぞれが思いついたものなのか(すさまじく特殊な表現とも言えないため)、それとも共通の引用元があるのだろうか? 個人的には1番目だと思っているが・・・
(伝記的事実と表現の一部については『ナイフの刃先で』の年譜を参照した。この本と『ガソリンの臭いのする記憶』は山形浩生も言うとおり文句なしの大傑作。特に前著所収の「ネズミの巣穴の上に精巧な聖堂を建てた男の自殺」、友人たちの間で交わされる感情と会話、手紙の記録、その悲痛さ、美しさとおかしみはあらゆる作品を圧倒している。)