クルツィオ・マラパルテ

Gomadintime2005-01-31

『戦争報道の内幕』の感想を書いたときに言及したクルツィオ・マラパルテだが、かなり有名な人物だったらしい。
調べると相当に特異な男で実に面白かったので、主にこのページから得た情報をまとめてみる。

クルツィオ・マラパルテ

クルツィオ・マラパルテ(1898-1957)、本名クルト・エーリヒ・ズッカートはフィレンツェ北西の街、プラートにイタリア人女性とドイツ人男性の間に生まれた。16歳のときガリバルディ義勇軍(Garibaldian League)に加わり、1915年までフランス戦線で戦う。その後イタリア軍に転属し戦いを続け、1918年にはマスタードガスの被害を受けている。
大戦終結後、マラパルテはジャーナリストとしての活動を開始。1922年から1943年のムッソリーニの没落までファシスト党の活発なメンバーとして行動する。この時期に文学雑誌を含む様々な雑誌を創刊。「進歩、テクノロジー、都市環境を唱道」とあるのをみると、この頃は未来派的側面が強かったようだ。
更にマラパルテは1920年代には日刊紙La Stampaの編集者となり、ファシスト新聞に作り替えるが、彼の個性的な文章がファシスト党内に敵をつくり、同紙からの辞職に追い込まれる。このような党派的な路線をはみだしていく独立心と反逆精神は終生変わらなかった。例えば1931年の『クーデターの技術』("Technique du Coup D'etat")で、彼はヒトラームッソリーニを批判したため、リパリ島に“国内追放”されるはめになった。結局1937年、ムッソリーニの娘婿ガレアッツォ・チアーノの個人的な助力によりマラパルテは解放される。
第二次世界大戦の最中、マラパルテは『コリエール・デラ・セラ』の特派員として立ち働いた。ドイツの東方進軍に随行する独占的権利を与えられた彼は正確で分析的な記事をものし、ファシストナチスの双方を憤激させる。マラパルテはイタリアに呼び戻され、再び追放すると脅されたが、記事の正確さを認められ、ドイツ軍からレニングラード郊外のフィンランド軍へ移される。1943年、ムッソリーニの死の報をフィンランドで聞いたマラパルテは、イタリアに帰国、以降連合軍の手によって何度か収監を受けるが、最終的に連合軍に加わる。この頃マラパルテは共産主義への傾斜を強め、共産党員に家を提供したり、左翼雑誌にフィレンツェ解放の記事を寄せたりしている。
戦後、マラパルテは2つの戦争小説、『壊れたヨーロッパ』(後述)・"La Pelle"により国際的名声を得る。以後パリに居を構え、いくつかの戯曲を書くが、大した成功は得られなかった。監督兼脚本家として制作に臨んだ映画"Cristo Proibito"(IMDbへのリンク)はまずまずの成功を収めたが、映画2作目の制作は1957年7月、彼の死によって中断された。最晩年には共産中国に興味を抱き、実際に中国へ旅をし、旅行記も発表している。

Casa Malaparte

現在マラパルテの名は建築家として有名となっている。1938年から1942年にかけて、マラパルテはカプリ島の地中海を臨む突端に家を建築した。そのマラパルテ邸は現在カプリ島の名物となり、建築界でも高く評価されているようだ。自分は建築にはほとんど関心がないのでここここを参照してほしい。

『壊れたヨーロッパ』ISBN:479492299X

マラパルテが東部戦線での従軍経験をもとに崩壊するヨーロッパを書き上げた半ドキュメンタリー戦争小説。
ここはThe New York Review of Booksのレビューを引こう。

目を瞠るような数々の舞台背景を得たマラパルテは、きらめくような文体を駆使し、第二次世界大戦での残虐行為のみならず、ヨーロッパのエリートたちの機知と文化をいきいきと蘇らせる。ポーランド・ナチの指導者が天使のようにショパンを弾く光景。パリの画家、イタリアの王女、スウェーデン王とともに虐殺されるロシア兵の思い出。あたかも「秋の朝の冷たく澄んだ大気にデューラーが彫り入れた」かのようなウクライナにおける戦車戦。ワルシャワのゲットーからルーマニアのイアシにいたるホロコーストの報告として、『壊れたヨーロッパ』は最初期のものの1つに位置し、依然としてもっとも力強い作品の1つでもある。マラパルテはこれら一切の中を、無慈悲で哀しげなトリックスターの神のごとく経巡り、己の恥辱を笑い飛ばしつつ、その笑いに恥じいってもいる。双方の陣営の非人間性に対し、国民的性格と人間諸相への洞察に満ちた描写を成し遂げた作品として、ヨーロッパ文学にこれ以上の作品はない。
In glittering language and astonishing visual set pieces, Malaparte brings to life the wit and culture of the European elite alongside the atrocities of World War II. He watches the leader of Nazi Poland play Chopin like an angel and reminisces about Parisian painters, Italian principessas, and massacred Russian soldiers with the King of Sweden, while a tank battle in the Ukraine is as if "engraved by Dürer on the clear cold air of that autumn morning." From the Warsaw ghetto to Iasi, Romania, Kaputt is one of the earliest accounts of the Holocaust, and still one of the most powerful. Malaparte moves through it all like a cruel, sad trickster-god, laughing at his shame and ashamed of his laughter. No other book in European literature paints a more insightful portrait of national character and the human faces on both sides of inhumanity.
読みてえ!