デイヴィッド・ハルバースタム死去

もう一週間以上前の話になるが。取材へ向かう途中での交通事故死。ハルバースタムはまだ現役で活躍していたので、不慮の死が惜しまれてならない。
自分がハルバースタム作品で読んだのは、『ベスト&ブライテスト』、『メディアの権力』、『ザ・フィフティーズ』、『静かなる戦争』の4つ。『静かなる戦争』は他の3つと比較すると少し落ちると感じたが*1、他3つは最高と言わざるを得ない。あざといほどに的確なアネクドートによって補強される人物像。マクナマラ、バンディ、テディ・ホワイト、フィリップ・グレアム──その他挙げきれないぐらい多数──の魅力的なこと! その魅力的すぎるところが問題と言えば問題なんだが。
ともかく、ハルバースタムの友人だったリチャード・ホルブルックワシントン・ポストで連載しているコラムで追悼文を書いているのを見つけたので、ざっと翻訳してみた。
リチャード・ホルブルッククリントン政権の欧州担当国務次官補、ボスニア問題の和平交渉(デイトン交渉)特使などを務めた。民主党内ではずば抜けた外交巧者で、2008年も民主党が勝てば前に出てくることは間違いないだろうが、なかなか毀誉褒貶の激しい人物で……と、ここはハルバースタム本人に語ってもらおう。


 新政権の人選担当者が、ホルブルックを検討した時、最初に浮かんだのが彼の圧倒的な行動力と知性だった。だが、「自己中心的」という点でも、飛び抜けているように思えた。彼にチームプレイをさせ、政権内の同僚たちと派閥争いをさせないようにするのは一苦労だ。新政権の中からは、「ホルブルックはマスコミを意識しすぎる」という声も上がった。ことがうまく運べば自分の手柄にし、うまくいかなければ逃げてしまう人間だ、と。

 ホルブルックは高潔とはほど遠い。炎に集まる蛾のように、明るいところに吸い寄せられる性格で、羞恥心がないのではないかと思われるほど、あからさまに自己宣伝をする。ホルブルックを尊敬し、バルカン半島で彼と一緒に働いていた部下のなかにも「シャトル外交」で彼が赴任地にやってくるたびに、「名誉心が服を着てやってきた」という者までいた。しかし、彼は決断力があり、大胆でもあった。

 ある旧友は尊敬と「あきらめ」の気持ちで、ホルブルックについてこう語っている──回転ドアに入った時には後ろにいたのに、出るときには前にいる、そんな人間だ。

 大の読書家だったホルブルックは、読んだものはすべて記憶している。だから、外交史については専門家並の知識があった。一時期、外交誌「フォーリン・ポリシー」の編集長を務めたこともあり、のちに、伝説的な大統領顧問クラーク・クリフォードの「回顧録」の共同執筆者ともなった。

 当時ホルブルックは、大手投資銀行リーマン・ブラザーズの取締役として大成功を収めていた。[...]ところが、ホルブルック自身はカネにあまり関心がなかった。奇妙なまでに、カネのことには無頓着だったのである。あるとき友人からこう質問されたことがある[...]「これだけの富をいったい何に使うつもりだい?」 一瞬困惑した表情を浮かべたホルブルックは「生まれて初めて、欲しかった本がすべて買えるようになった」と答えた。そしてすぐにこう続けた。「それにテニスをするたびに、新しいボールを使えるんだ」

 ほぼ一年間、欧州担当の国務次官補を務めてきたリチャード・ホルブルックは、この役目を喉から手が出るほど欲しかった。だから、選ばれるために盛んに運動する。「自分は、このような[デイトン]和平会議を取り仕切るために、三十年近くも準備をしてきたのだ」と同僚たちに言った。そもそも、ホルブルックではいけない理由などあるだろうか? 彼以外に、ミロシェビッチや、ツジマン、イゼトベゴビッチをうまく扱える人物がいるだろうか? 彼らは「トーマス・ジェファソン賞」の候補になるような民主的な輩ではない。交渉相手のことを考えると、ホルブルックこそ適任のはずだった。他に良い候補者がいるとしたら、ジミー・ホッファだけだとある友人は言う。

 「なぜ、君の部下のホルブルックは、デイトン合意であれほど成功できたのかね?」あるときフランス大統領のジャック・シラクが、ビル・クリントンに尋ねた。「彼はミロシェビッチと同じ性格だからね」。その言葉は正しかったが、同時に間違ってもいた。
以下がホルブルックのコラムの翻訳。

われわれすべてにとっての喪失

 By リチャード・ホルブルック

 1963年5月に彼と私がサイゴンで会ったとき、デイヴィッド・ハルバースタムはたったの29歳だったが、彼はすでに影響力のあるジャーナリストたちの一団のなかでも有力な人物となっていた。これらのジャーナリストたちは、たとえ軍が発表した戦争に関する見解と矛盾しようとも、自らの看て取った事態を報道していた。これは勇気のいる行いだった。第二次世界大戦から18年しか経っておらず、記者たちが米軍の上級司令官に疑いをはさむなど考えられないことだった。実に由々しき問題だったため、ジョン・F・ケネディ大統領はニューヨークタイムズの社主アーサー・オックス・サルズバーガーに対しハルバースタムの異動を要求した。サルズバーガーはこの要請を拒否した。*2

 それから数十年、ハルバースタムとその同僚は、しばしば右派のコメンテーターや軍将校からヴェトナムの敗北について非難されてきた。彼らの報道が国内の戦争支持を掘り崩したという理由でだ。もちろんこんな言いぐさはナンセンスである。戦争において成功はおのずと物を言う。スピン(偏向報道)はしばらくのあいだ国民を欺けるかもしれないが、無期限にというわけにはいかない──そしてそのあいだにも人々は死んでいく。根本の真実は単純である。ハルバースタムの報道は正しく、公式見解はそうではなかったのだ。

 はじめて会ったときのデイヴィッドの姿は今でも思い出せる。あの夜のすべてが彼の将来と、われわれの複雑な、だが変わることなく続いた友情を予表していたように今では思える。はじめての海外勤務につく若き外務職員局職員としてサイゴンに着いてから一週間後、私は2人の共通の友人からの紹介状をデイヴィッドに渡した。デイヴィッドは持ち前の気前のよさでサイゴンで最高級のフランス・レストランでのディナーに私を誘い、一番の親友であるUPI支局長ニール・シーハンを連れてきた。シーハンはのちに著書の『輝ける嘘』でこの夜のことを描いている。2人は私より一世代は年長に思え、見識でも上をいっていると感じた。しかし──今驚きとともに意識するのだが──われわれはみな20代だったのだ。

 彼らは背が高く、ひたむきで、騒々しい活力を発散していた。自分たちが世界で最も重要なニュースを報道しており、競争相手はほとんどゼロだとわかっていた。公式見解が間違っているとわかっており、真実を公にするつもりだった──アメリカの任務を終わらせるためではなく、その前進を助けるために。

 この時点では、2人はまだ戦争を支持していた。彼らが望んだのは国民に嘘をついている者たち、腐敗した南ヴェトナム政府とアメリカ軍司令官の両方に責任をとらせることだった。

 2人はとりわけ第二次世界大戦の古参兵で上級司令官であるポール・D・ハーキンズを軽蔑していた。私に助言をしたあと(「あの畜生どもの話は一言たりとも信用するな」)、デイヴィッドとニールはハーキンズをこきおろしてその夜のほとんどを過ごした。ワインをいくらかやったあと、彼らは無能と職務怠慢の廉でこの四つ星将軍の模擬裁判を行った。力強いがらがら声で、デイヴィッドがそれぞれの告発に対しハーキンズの“有罪”を宣告すると、ニールがやかましい声で“刑”を執行する──レストランの後ろの壁を背にしての銃撃隊による処刑である。周りの人間が驚いて聞き耳を立てるなか、私はおそるおそる周りを見回した。もし誰か知り合いに見とがめられれば、私のキャリアは始まりもしないうちに終わることは確かだった。

 1963年の10月下旬、激しい興奮もあらわなデイヴィッドとニールは私を昼食に連れだし、サイゴン政府に対するクーデターが今すぐに始まると陰謀めかした口調で囁いた。数分に一度、2人のうちどちらかが外へ走っていって、大統領府へと行進する軍隊を探していた。クーデターが起こらずに昼食が終わると、ニールは短期休暇で東京に去り、デイヴィッドは現地に残った。クーデターは一週間後まさに彼らが予想した通りのかたちで発生し、デイヴィッドはその年ピューリツァー賞を受賞した。

 彼は進み続け、タイムズを去るとアメリカのエリートについての認識を永遠に変える本を書いた。以来、この種の本でこれ以上の衝撃を与えたものはない。デイヴィッドがつけたタイトルは『ベスト&ブライテスト』、読めば今なお発見があり、イラク時代にあって意外なほど今日性がある。

 ケネディリンドン・ジョンソンを取り巻く男たちの背景と価値観を研究し、ハルバースタムは容赦ない1つのポートレートを描き出した。自己をあまりに過信し、アメリカと世界にとって何が最善かを知っていると確信している──だが、彼らが若いアメリカ人兵士を送り込んでいく遠方の土地については甚だしく無知である人間たちのポートレートを。

 長い、強烈な文で、彼は大きな怒りと裏切られたという感覚を表した。ハーキンズにくわえて、デイヴィッドは政府高官に責任をとらせることを望んだ。主たる対象は、国防長官ロバート・S・マクナマラと国家安全保障問題担当大統領補佐官マクジョージ・バンディ、かつて政府のために働いた者たちのなかでも最も頭の切れる2人である。ハルバースタムが彼らの傲慢と無知を暴き終えたあとには、彼らに対する認識は変わり、二度と元に戻ることはなかった。

 デイヴィッドはクリントンとバルカンについて、アメリカと戦争に関する継続研究の2冊目に相当する『静かなる戦争』を書き、先週の死の直前に3冊目を書き終えたばかりだった。この3冊目は朝鮮戦争が主題で、この秋に出版される予定である。

 彼がイラクについて何を書いたかは、ただ想像をめぐらすことしかできない。

*1:ニュー・ジャーナリズム的な描写がクリントンに関して上手くいっていないのと、背景説明でsweeping generalizationが目立った。

*2:それどころか馬鹿げた誤解を避けるため、予定されていたハルバースタムの休暇を取り消してヴェトナムに留まらせた。