ユダの福音書

ユダの福音書参照)が話題になっているが、ナグ・ハマディ文書ほどの大ニュースではないかな。どちらかといえば「文学的」な事件だろう。エイレナイオスの『異端反駁』によると、グノーシス主義のカイン派の文書らしい。ダウンロードしてパラパラ読んでみると、たしかにグノーシス主義的表象と用語が用いられている。
グノーシス主義については分派が多いので解説が難しいが、『ナグ・ハマディ文書I 救済神話』の「グノーシス主義救済神話の類型区分」で、大貫隆グノーシス主義各分派に共通する要素を5つあげている。

  1. 人間の知力をもってしては把握できない至高神と現実の可視的・物質的世界とのあいだには越え難い断絶が生じている。
  2. 人間の「霊」あるいは「魂」、すなわち「本来的自己」は元来その至高神と同質である。
  3. しかし、その「本来的自己」はこの可視的・物質的世界の中に「落下」し、そこに捕縛されて、本来の在り処を忘却してしまっている。
  4. その解放のためには、至高神が光の世界から派遣する啓示者、あるいはそれに機能的に等しい呼びかけが到来し、人間の「自己」を覚醒しなくければならない。
  5. やがて可視的・物質的世界が終末を迎えるときには、その中に分散している神的な本質は至高神の領域へ回帰していく。

このようにグノーシス主義と、神と人間の断絶を説くキリスト教では大きく異なっている。引用部分を簡単に敷衍すると、「本来の在り処を忘却して」いることに気づき、「本来的自己が元来その至高神と同質であること」を知ることがグノーシスである。
また、グノーシス主義によれば物質世界は悪であるから、当然の帰結としてその創造者である造物主(デミウルゴス)も悪の存在となる。つまりグノーシス主義は至高神と旧約の神を別の存在とし、旧約聖書の神を悪として退ける。旧約の神はヤルダバオート(正確な語源不明だが若者?)やサクラ/サクラス(シリア語で馬鹿)、あるいは「ユダの福音書」にあるようにネブロ(反逆者)などのように蔑称で呼ばれる。
さらに、こうして造物主を悪と断じることから、聖書の価値転倒的読みかえが行われる。聖書のそこここで神と対立した者たち──エデンの蛇、カイン、ソドム人など──こそが実際は至高神のメッセンジャーであり、啓示者だったのだとされるのだ。
ユダの福音書」もこうしたグノーシス主義に連なる文書として、基本的論点を踏襲しているのだろう。イエスは旧約の神ではなく至高神の息子であり、「ユダ福音書」のなかでユダに真の創世神話と人間の出自を教え、グノーシスを授ける、ということらしい。