仕立屋の最後?

Gomadintime2006-05-03

リベリアの元大統領チャールズ・テイラーのシエラレオネ国際法廷移送を記念して(といっても一ヶ月前だが)、NYTから翻訳。リベリアシエラレオネについて自分でまとめるつもりだったが、楽な方でお茶を濁しておく。マルチメディア・エッセイ"A Horrific Genius"も参照。


血で描かれたマスタープラン
By Lydia Polgreen

フリータウンシエラレオネ

 1989年のクリスマス・イヴ、無名のリベリア政府元公務員に率いられた約100名の小部隊が、コートディヴォワールから国境を越え、北部リベリアのニンバ州に入った。

 アフリカ学者のスティーヴン・エリスが著書"The Mask of Anarchy"で語っている地元の伝説によれば、リベリアの首都モンローヴィアで生まれた赤子の1人が、子宮から出てすぐに英語を話し出す奇跡が起こったという。赤子は母親にクリスマスに死の雨が降り注ぐと告げ、こんなひどい世界で生きていたくないと言うと、ただちに息を引き取った。

 12月25日、降りしきる雨の日に、チャールズ・テイラーがリベリアを攻撃したというニュースがモンローヴィアに届いた。赤子が予言したように、まもなく西アフリカは死の雨に浸された。この雨は14年間降り続いた。

 水曜日、この黙示録的な洪水が小康状態を迎えるなか、テイラーはモンローヴィアの空港の滑走路で拘束され、ただちにフリータウン国際法廷の収容監房に移送された。この国際法廷は、シエラレオネで10年続いた暴力的内戦で犯された戦争犯罪の容疑者を裁くために設立された。テイラーはこの内戦を開始し、支援したと告発を受けている。

 テイラーの興隆と没落に、西アフリカの物語、死と動乱と悲劇の歴史を見出すことができる。1つの時代の引き延ばされた終わり──ナショナリストのビッグマン政治のゆっくりとした終焉──と新しい時代のはじまりから利を引き出すにあたり、多くの点でテイラーはうってつけの男といえた。新しい時代では、小規模で非イデオロギー的な暴動を率いるウォーロードが地域の大半を巻き込む争乱を引き起こし、そこから富を得、母国に荒廃をもたらしている。

 実際、アフリカの報道で多用されてきたクリシェであるビッグマンという語は、テイラーを描くには小さすぎるといってよい。だが、テイラーをウォーロードと呼べば、その野望の広がりを掴むことができない。

 ビッグマンとウォーロードという二つの役割をテイラーは混ぜ合わせ、それが悪魔的で破滅的な結果をもたらした。2003年にテイラーが権力の座から押しのけられるまでに、彼が火をつけた紛争で30万人以上が死んだ。彼の軍隊と同盟者たちはリベリアシエラレオネ、その近隣国の一部を完膚無きまで略奪した。数百万の人々が西アフリカ周辺の6ヶ国に散り散りとなった。リベリア一国だけで、テイラーは大統領だった1997年から2003年にかけ、少なくとも1億ドルを盗み取ったと考えられている。

 「テイラーは彼が呼ぶところの大リベリアの地図を持ち歩いていた」犯罪組織やテロネットワークとのテイラーの繋がりについて、多くの記事を書いているアナリストのダグラス・ファラーは言う。「大リベリアにはギニアの一部とシエラレオネのダイヤモンド産出地が含まれていた。彼にとって大リベリアは抽象的なものではなかった。テイラーは自分が成し遂げようとしていることについて、非常にはっきりとしたアイデアがあったのだ。彼には壮大な計画があって、ほとんど成功するところだった」

 テイラーはモンローヴィア郊外で、ゴラ族の家政婦の母と、リベリアを建国した帰還奴隷の後裔である教師の父のあいだに生まれた。

 テイラーは1970年代は学生運動家で、ウィリアム・トルバートの腐敗政権に罵りの声をあげていた。次いで経済学を学ぶためにマサチューセッツベントレー・カレッジへ入学している。テイラーは1980年にはリベリアに戻り、リベリア軍の若き曹長サミュエル・ドーがトルバート政府を倒し、大統領を殺害するのを目にするのに間に合った。

 テイラーはすぐさまドー一派に取り入って、ついには政府の購入部門をコントロールするようになった。テイラーはドーと仲違いすると、リベリア政府から横領したとされる百万ドルを手にアメリカに逃げ戻った。

 テイラーはマサチューセッツで収監されたが、1985年に檻を挽き切って脱獄している。アフリカにもどると、テイラーはガーナでリベリア人反体制派と会合し、ついでブルキナファソ、コートディヴォワール、リビアの革命勢力と共同戦線を結んだ。この共同戦線でもっとも決定的な役割を果たしたのがリビアで、リビアムアマル・カダフィー大佐はアフリカ大陸全土の革命を計画し、支援を与えていた。リビアのキャンプでテイラーは訓練を受けたが、このキャンプで、1990年代アフリカの大いなる悲劇における主役たちも訓練を受けていた。一般市民の手足を切断することで最も世に知られた反乱運動を率いたシエラレオネのフォデイ・サンコー、最終的に400万人が死んだ複雑な内戦の中心人物であるコンゴのローラン・カビラである。

 リビアから金と武器を、ブルキナファソとコートディヴォワールから政治的・財政的後援を得て、テイラーは1989年12月、国境を越えリベリア入りした。テイラーに兵士としての経験はなく、彼に随う部隊もごく少数だった。にもかかわらずテイラーは、ほとんど前例のない規模の破壊をもたらし、10年以上にわたり一帯の大部分を支配することに成功した。どんな方法を用いてテイラーは成功を遂げたのか?

 テイラーは同時代の言葉を操り、場合によっては作り出すことに長けていたことが理由の一端としてある。新植民地主義に対する流血の革命を呼びかける戦闘的な汎アフリカ主義と、力こそ弁解の必要なく正しいという腕っぷし頼みの土地言葉、この2つをテイラーは混ぜ合わせた。この新しい態度は一帯のムードにぴったりフィットした。

 「西アフリカ外交には実に強力な風潮がある。この風潮は要するに最強のアクターと取り引きするということで、そうしなければ、その者がブッシュに戻って戦うなり他の方法なりで、情勢を不安定化させるからだ」インターナショナル・クライシス・グループで西アフリカ紛争を研究する人類学者のマイク・マクガヴァンは言う。

 テイラーの恐るべき天才の核心には、西アフリカの政治的、社会的、文化的価値を巧みに操る能力がある。テイラーは根深いタブーを打ち破るように見せかけながら、そのタブーを彼の目的のために巧妙に取り込んできた。

 権力が常に年齢で計られ、若者が年長者の支配のもと増大する不満を抱える社会で、テイラーは強盗哲学を唱道した。若者たちは「婚資」がないため結婚できず、父親や叔父が死んで財産と土地を継ぐまで、自前の生活を始める手段にも欠けていた。こうした若者はあつらえ向きの歩兵となった。

 テイラー軍の指揮官は、少年に両親や家族を殺すよう強制することで究極のタブーを破り、次いでメタアンフェタミンマリファナその他のドラッグをたっぷり与え、殺戮本能を研ぎ澄ませたままにおく。彼らに対する給金は、たいていレイプと略奪の許可という形をとった。

 だが、年長者への敬意を掘り崩しておきつつ、テイラーは巧みにもその年長者の地位に自らを代わりに据えた。こうしてテイラーは一世代の少年を魅惑するとともに隷属させ、少年たちはテイラーのために殺戮を行った。

 1997年の大統領選キャンペーンでのテイラー支持者の身も凍るスローガンは上述の点から説明できる。「ママを殺したテイラー、パパを殺したテイラー、ぼくの一票はテイラーに」*1

 テイラーはまた、リベリアの狩猟結社であるポロのような、西アフリカ諸国の多くの生活を支配する秘密結社を利用した。この秘密結社のおかげで、テイラーは霊的な力の世界に参入し、神秘と不敗のオーラを放射することができた。テイラーがカニバリズム、人身御供、血の贖罪儀式を行ったという噂は、単にテイラーの神秘的勢威を増すだけだった。

 「テイラーは、容易い理解を許さない手強い諸力と同盟を結んでいる男だというオーラを作り出した」歴史家のスティーヴン・エリスは言う。

 聖木を刻んだ王笏や透明化のアミュレットなど、守りの力を持つ物品をテイラーは身に纏った。テイラーが本当にこれらの物品の力を信じていたのか、それとも単に小道具として利用しただけなのか、判断は不可能である。

 テイラーは普通のキリスト教も利用し、ジェシー・ジャクソン師、ジミー・カーター前大統領、福音主義者のパット・ロバートソンに、心の奥底では良きバプティスト派のキリスト教徒であると信じさせることに成功した。

 テイラーは金もたくさん持っていた。彼の手により、リベリアという国は組織犯罪とテロネットワークの本質的な付属物と化した。このテロネットワークにはアルカイダも含まれている。*2

 「テイラーは驚くほど複雑な犯罪事業を経営していた。この事業では国家が多数の犯罪ネットワークに対し、外交パスポートや航空機登録など決定的な便宜を提供した」とファラーは言う。

 1997年に大統領に選出される前ですら、テイラーが掌握していたダイヤモンド、ゴム、木材を豊富に産出する広大な辺地が、推定年1億ドルの収入を生んでいた。テイラーの大統領在任中、外交官たちはときにリベリアを“株式会社チャールズ・テイラー”と呼んだ。

 強欲な男である点は疑いないにせよ、テイラーは友人たちには出し惜しみしなかった、とファラーは言う。テイラーは略奪した富を後援者であるリビアブルキナファソのような近隣のパワーブローカーと喜んで分け合った。

 だが、主として彼は恐怖を通じて支配した。フリータウンの監房に収監されている現在でさえ、西アフリカの人々はテイラーの存在に身を震わせている。リベリアシエラレオネは裁判のためにハーグへの移送を依頼している。

 シエラレオネの戦争でテイラーが支援していた反乱軍に両手を切断されたタンバ・ンガウチャは、暴君が逮捕されて喜んでいると言った。だが、テイラーがシエラレオネで裁かれるべきか質問されると、ンガウチャの目は見開かれた。

 「チャールズ・テイラーにはここにいてほしくないんだ」前は手だったくぼんだ切り株を強調のために振りながら、ンガウチャは言う。「もう一度私たちを傷つけるんじゃないかと、みんな恐れているんだ。私たちが望むのはただ平安だけだ」

*1:"He killed my ma, he killed my pa, I'll vote for him."

*2:アルカイダは1998年から2001年頃まで、テイラーが支援するフォデイ・サンコーの革命統一戦線(RUF)からダイヤモンドを市場価格以下で買い取り、ベルギーなどヨーロッパで売却することで巨利を得ていたという。ダグラス・ファラーによるWashington Postの記事を参照。ファラーはアルカイダの資金源を詳述した関連書"Blood from Stones: The Secret Financial Network of Terror"ISBN:0767915623