『フーコーの振り子』ISBN:416725445X


 陰謀というものは、陰謀という言葉どおりのものなら、秘密のものでなければならない。それを知っていれば他人よりも欲求不満にならなくて済むような秘密は必ずあるはず。なぜなら、その秘密が救いをもたらしてくれるかもしれないし、その秘密を知っているだけで救われた気分になれるからだ。しかし、そんな見事で素晴らしい秘密は本当に存在するのだろうか?
 もちろんある。絶対にバレない秘密なら。バレたら最後、失意のどん底。紀元二世紀のアントニウス帝の時代に、民衆の神秘に対する熱望が、いかに緊迫した状況をもたらしたかを話したのは、確かアッリエだった。にもかかわらず、自分は神の子だと表明した男が登場した途端、その神の子は現人神となって現世の罪をあがなう。神秘とはあんな低俗なものだったのか? そして万人に救いを約束して『隣人を愛せ』の一言。秘密なんてそんな安っぽいものだったのか? [...]さらに、父と子と聖霊の御名において教父たちを説得し、ついに『三位一体』を宣言することになる。聖霊は父と子から生じ、子は父と聖霊から生じるのではない。あれは物質人間を慰めるための呪文ではなかったのか? ところが、救いが自分の手の届くところにある──ドゥー・イット・ユアセルフ──と知った連中は、馬耳東風。これでは啓示も何もあったもんじゃない。陳腐の極み。そこで、軍用帆船で地中海全域をヒステリックに駆け巡り、失われた別の知識を血眼になって探す。きっとほかにあるはず。さあ、探すのだ、あの金三十銭の経文は見せかけのヴェールにすぎない、あれは才気の乏しい連中のための寓話、聖刻文字の隠喩、霊魂人間に対するウィンク、きっとほかに本当の秘密があるはずだ。それが三位一体の神秘? 甘すぎる。何かの下には何かがあるのに決まってるじゃないか。

 『計画』が本当にあるのなら、失敗はありえない。仮に敗北したとしたって何だ、それはお前のせいではない。世界制覇の陰謀に勇敢に立ち向かって負けたとしても、それは恥でも何でもない。お前は臆病者じゃない、殉教者なのだ。
ユダの福音書」、『ダ・ヴィンチ・コード』と宗教的な大ネタが相次いで話題になっているようだが、それなりにまともだと思っていたブログでいきなりとんでもない大風呂敷を広げられるので驚愕する。「ユダの福音書」だと例えば「キリスト教ユダヤ教の和解!」とか、「二元論者の逆襲!」とか。『ダ・ヴィンチ・コード』のほうは枚挙に暇がない。
そういや『ダ・ヴィンチ・コード』って、10年ぐらい前に出た"Gabriel Knight 3:Blood of the Sacred, Blood of the Damned"(日本語の紹介ページ)というPCゲームと同じ話だな。というよりネタ元が同じ(ISBN:4760114432)なんだろう。インタラクティヴに謎や暗号解きができるのである意味ゲームのほうが上。

まあどうでもいいといえばどうでもいいんだが、知り合いに『ダ・ヴィンチ・コード』について聞かれたとき、心の声にしたがい「あれは下らん、同じネタなら何倍もすごい『フーコーの振り子』を読め」と言うべきか迷ったもんで。しかし、読んでもらうなら最後まで読んでくれないと困るたぐいの本だが、じっさい最後まで読むのは相当骨が折れるし。途中まで読んで「『ダ・ヴィンチ・コード』よりもっとすごい秘密が!」と思われたら……