ジョナサン・レセム 『マザーレス・ブルックリン』

彼の長編第1作『銃、ときどき音楽』はかなり前に読んでいた。この『銃、ときどき音楽』は作者本人のインタビューでの発言にもあるとおり、P・K・ディックの世界とレイモンド・チャンドラーの文体をミックスしたようなSFハードボイルド。タフでハードボイルド特有の美学(「非道に対する古風な怒り」)を備えた主人公の、それでもどこかディック的ボンクラ感を漂わせた一人称の語り口が実に魅力的(と、こんなこと書きながらチャンドラーの作品はあまり好みではないが)。卓抜な比喩やおもしろ表現が5ページに1回ぐらいで連発され、レセムの才能を感じるには十分ではあった。しかしこの作品では作者本人の声を全面に押し出してきておらず、いまいちどういう方向の作家なのかつかみにくい。ある意味「ディックとチャンドラーのミックス」という評で尽くされているというか、あまりにうますぎてパスティーシュ的な感じを抱いてしまったのだ(まあナイスガイなのはわかったが)。
そのレセムの長編第5作にあたるのが『マザーレス・ブルックリン』。まず簡単なあらすじから。主人公のライオネル・エスログはトゥレットの発作に悩む探偵見習いの青年。孤児院暮らしだった彼はある日他の3人と一緒に孤児院から連れ出され、奇妙な半端仕事を手伝わされる。連れ出したのはフランク・ミナ、ブルックリンで怪しげな稼業を営んでいる男だ。そんな風に何度か手伝いをしたあと、ついに4人は高校を中退、ミナがはじめた無免許探偵会社で働くことになる。そうして数年間ミナの下で様々なことを仕込まれ、後ろ暗いところのある仕事に手を出してきた。乱暴でぶっきらぼう、どこか怪しげなところはあったが、ある意味ミナは4人の父親代わりで、恩人だった。だがそんな日々にも終わりがやってくる。仕事の最中にミナが何者かに刺され、瀕死の状態で見つかったのだ。ミナは犯人について何か知っている様子だったが、何も語らずそのまま息を引きとってしまう。ライオネルは復讐のため、犯人探しを始めるが・・・
基本的なプロットは上記の通りハードボイルドの標準的フォーマットに則っているが、この小説の特異な点は主人公にトゥレット症候群の青年を据えているところ。そこでトゥレット症候群について、レセムも参考にしたオリヴァー・サックス『火星の人類学者』の「トゥレット症候群の外科医」から引用してみよう。

トゥレット症候群は痙攣性チック、他人の言葉や動作の無意識な繰り返し(反響言語、反響動作)、それに無意識あるいは衝動的な罵言や冒涜的言辞(汚言)を特徴としている(・・・)奇妙にうがった連想や現実離れした連想が見られることもある。極端に衝動的だったり挑発的だったりして、しじゅう物理的、社会的境界を確認せずにはいられない者もいれば、周囲の刺激に反応しつづけ、足を突き出したり、匂いを嗅いだり、不意にものを投げつけたりする場合もある。常同症と強迫観念が非常に強い者もいる。そしてまったく同じ症状をみせる患者はふたりといない。

ライオネルはここに出ている症状をだいたい網羅しているが、小説としての『マザーレス・ブルックリン』の最大の魅力、それは一人称で繰り出されるトゥレットのショットガン的な言葉の連なりにある。雰囲気を掴んでもらうためこれもいくつか引用しよう。

ライオネル・エスログ。ライン-オール。
ライアブル・ゲス野郎。
ファイナルSOS。
アイロニック・ピストル。
うんぬん。

「おまえ、ほんとに飛び出した鉄砲玉だもんな」
「飛び出す目ん玉! よくわかんないんです、なぜか。ただ――くそったれ!――ただやめることができないんです」
「おまえはフリークショーだ。だからなんだ。人間フリークショーだよ。それはフリーってことだ。世間に対してフリーなんだ」
「フリーフリーク!」自分はミナの肩を強く叩いた。
「そういったろ。フリーな人間フリークショーだって」

「厄介な猥褻電話、奇っ怪な排泄器官、ティーンエイジ・ミュータント・ゼンドー創設機関、ペニス・ミルハウス・ニクソン捜査期間」

こんな感じで、全編滑稽な地口としゃれ、奇妙な連想で溢れている。そしてトゥレットのこの言葉に対する強迫的で反復的連想が真相解明に役割を果たすのだ。
むう、長くなりすぎたからサッサとまとめる。『銃、ときどき音楽』でちょい不満だった点も改められ、作者の声も恐れず出してきてる。特にライオネルの生い立ちのエピソードには、レセム自身がかなり色濃く反映されているようだ。作品と同じタイトルをあたえられている第2章はとりわけ素晴らしい。おもしろエピソードも多数(トゥレットとしてのプリンス評、またプリンス改名時の発音不能の名前に対するトゥレット的こだわりの話が特に面白かった)、会話や人物造形の上手さも相変わらずで、期待に違わぬ愛すべき作品。翻訳も大変だったろうに、かなりがんばってる。けど原文が気になる本だなあ。原書を買っちゃうかも。ほかの作品といっしょに。