トニー・ジャット ─ ブッシュの“有用な間抜け”

Gomadintime2006-09-22

教えられるところ実に大なエッセイで、ちょうど自分が考えていたことに関連した点をびしびしついてくるので、読んでて仰け反った。例えば──

  • いわゆるリベラル・ホークについて。俺もトーマス・フリードマンが嫌いだ。
  • ソ連の反体制派だったナタン・シャランスキーがなぜイスラエルの右派政治家になるのか。
  • 冷戦史の重鎮ギャディスの(最新著書における)ネオコン的転回と、一方のバイナートのリベラル的書き換え。どちらも結論は変わらないようにみえる。つまり道徳的明晰さを堅持した対決姿勢で冷戦の勝利は得られた、というわけ。
  • ダルフールの記事を読みにいって驚愕させられた、伝統的にリベラル誌だった〈ニュー・リパブリック〉の右傾化(ネオリベ化というべきか)。
  • なぜ民主党外交政策共和党と差別化できないか。

というわけで訳してみたが、一般的に言うとそんなに面白くないかもしれない。
追記。注を追加したが、クリストファー・ヒッチェンスとオリアナ・ファラッチなんかは実にあくの強い人物で、とても注には収められないよなあ。重要な論点もあるし、エントリを書くべきか。
トニー・ジャットについて。トニー・ジャットはイギリス生まれのユダヤ人で、歴史家。現在はニューヨーク大学エーリヒ・マリア・レマルク研究所所長。現代ヨーロッパが専門。著書のタイトルをみると、ヨーロッパ左派知識人とマルクス主義の関わりについて強い興味があるようだ。去年、『戦後:1945年以後のヨーロッパ』と題した静かな自信がうかがえるタイトルの本を出版し、好評で迎えられた。
ジャットはまた、イスラエルに対して批判的なことでもよく知られている。2003年、ジャットは〈ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス〉に“Israel: The Alternative”を寄稿し、イスラエルが好戦的で不寛容な民族国家になりつつあると警告。ユダヤ人国家としてのイスラエルから、バイナショナル国家──つまり歴史的パレスチナ内に居住するユダヤ人とアラブ人に平等な権利を賦与する国家──への移行を説いた。これをユダヤ人国家解体──ユダヤ人がマジョリティを占める国家としてのシオニズム国家の解体──への呼びかけとみなした人々から猛烈な批判と中傷が殺到し、「自虐的ユダヤ人」、「客観的反ユダヤ主義者」と名指された。この一件が原因で、ジャットは〈ニュー・リパブリック〉の寄稿編集者から外されている。
ジャットのほかの記事は〈ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス〉などで読める。


ブッシュの“有用な間抜け”
 リベラル・アメリカの奇妙な死について
 By トニー・ジャット
 なぜ、アメリカのリベラルたちはブッシュ大統領の破滅的な外交政策を黙認したのだろうか? イラクについて、レバノンについて、イランへの攻撃計画の報道について、彼らがほとんど何の声もあげないのはなぜか? ブッシュ政権による市民的自由と国際法への不断の攻撃が、かつてはそうした物事を何よりも気にかけていた者たちから反対も怒りもほとんど掻きたてないのはなぜなのか? 要するに、アメリカのリベラル・インテリたちはなぜ、近頃は安全な胸壁の陰に頭を隠したままでいるのか?

 いつもこうというわけではなかった。1988年10月26日、〈ニューヨーク・タイムズ〉は1ページ全面を占めるリベラリズム賛同の意見広告を掲載した。“原則の再確認”と見出しのついた広告は、“忌々しいL-ワード”と嘲笑を浴びせ、“リベラル”と“リベラリズム”を不名誉な呼称に仕立てたロナルド・レーガンを公然と非難していた。広告の文章が確認するところによれば、リベラリズムの原則は「不朽である。右と左の過激派は、彼らの最大の敵として長年リベラリズムに攻撃を加えてきた。われわれが生きてきたこの時代にも、そうした過激派によってリベラル・デモクラシーは破壊されたのだ。わが国において、意図的であろうとなかろうと[リベラリズムを破壊しようとする]こうした風潮を後押しする動きに反対して、われわれは声をあげざるを得ない」

 広告には63人の著名知識人、作家、実業家の署名があった。ダニエル・ベル、J・K・ガルブレイス、フェリックス・ロハティン、アーサー・シュレージンガーJr、アーヴィング・ハウ、ユードラ・ウェルティらである。彼らとほかの署名者たち──経済学者のケネス・アロー、詩人のロバート・ペン・ウォーレン──は、批判的知識人の中核であり、アメリカの公的生活における堅固な道徳的中心を成していた。だが現在、誰がこのような異議申し立てに署名するだろうか? 今日の合衆国において、リベラリズムはその名を口にするのが憚られる政治信条である。そのため、“リベラル知識人”として振る舞う者たちは別のやりかたで仕事を行う。アメリカのCEOと熟練労働者の賃金比率が412:1になり、腐敗した連邦議会ロビー団体と役得で溢れかえる新〈金メッキ時代〉にふさわしく、リベラル知識人の地位は“マックレイキング”をこととする調査ジャーナリストのすばらしい一団に大部分が引き継がれた。セイモア・ハーシュ、マイケル・マッシング*1、マーク・ダナー*2らで、〈ニューヨーカー〉や〈ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス〉で書いている。

 現代アメリカにおけるリベラルの自信喪失は様々に説明できよう。一部には1960年世代の敗れた幻想の反動であり、若者時代のラディカルな万能薬的政治から、物質的蓄積と個人的安全への全力を挙げての邁進に撤退した。〈ニューヨーク・タイムズ〉の広告の署名者たちはほとんどが何十か歳上で、彼らの政治的意見は何を措いても1930年代に形成された。彼らのコミットメントは経験と逆境の産物であり、ずっと厳然たる素材から築かれていたのだ。また、アメリカ政治におけるリベラルの中心の消滅は、民主党の溶解の直接的結果でもある。内政に関していえば、リベラルはかつては福祉の提供、よい統治、社会正義の価値を信じていた。外交に関しては、国際法、交渉、道徳的模範の重要性に対して長年にわたって献身してきた。どちらの領域でも、拡大する自分第一主義のコンセンサスが活発なパブリック・ディベートに取って代わった。そして、その政治的対応物と同様、アメリカの文化生活でかつてはあれほど目立つ存在だった批判的インテリも沈黙に陥った。

 この過程は2001年9月11日の相当以前から進行していたのであり、少なくとも内政面に関していえば、ビル・クリントンと彼による計算づくの政策的“三角測量”が、リベラル政治を骨抜きにした責任の一端を負わねばならない。だが、以来アメリカ政体の道徳的、知的動脈硬化はさらに進行した。伝統的にリベラルの中心を担っていた雑誌や新聞──〈ニューヨーカー〉、〈ニュー・リパブリック〉、〈ワシントン・ポスト〉、そして当の〈ニューヨーク・タイムズ〉──は、懲罰的戦争に入れ込んだ共和党の大統領に論説の歩調を合わせようと先を争った。おどおどした順応主義が主流メディアをがっちりと掴んだ。そしてついに、アメリカのリベラル知識人は新しい大義を発見する。

 いやむしろ、装いを新たにした古い大義というべきか。なぜなら、リベラルのブッシュ支持者とネオコンサーヴァティヴのブッシュ同盟者の世界観を区別するものは、前者が“対テロ戦争”、イラクでの戦争、レバノンでの、そして来るべきイランでの戦争を、アメリカの軍事的優越の再確立に向けた行動が単に連続しただけのものとは考えない点にあるからだ。彼らはこれらの戦争を新しい地球規模の対立における小規模紛争とみなす。この新しい地球規模の対決は、祖父母の対ファシズム戦争、冷戦リベラルだった両親の国際共産主義への対決姿勢に心強いほど類似した“よい戦い”なのだ。彼らが確言するところでは、今回も事態は明快である。つまり、世界はイデオロギーで分断されている。ゆえに──以前と同様──現代の争点について、立場を明らかにしなくてはならないのだ。ずっと単純だった時代の心休まる真正さに長年ノスタルジーを抱いていた今日のリベラル知識人は、ついに目的意識を得た。彼らは戦争中なのだ……イスラモ-ファシズムと。

 そういう次第で、〈ディセント〉、〈ニューヨーカー〉、その他リベラルの定期刊行物の常連寄稿者であるポール・バーマン*3は、これまでアメリカの文化事象のコメンテーターとして知られていたが、イスラミック・ファシズム(この語自体新しい専門用語だ)の専門家として自己形成しなおし。『テロとリベラリズムASIN:0393325555ぎりぎり間に合わせて出版した。〈ニュー・リパブリック〉の元編集者ピーター・バイナート*4は、今年『よい戦い:なぜリベラルなら──そしてリベラルだけが──対テロ戦争に勝利し、アメリカを再び偉大にできるのか』ASIN:0060841613、バーマンの後に続いた。この本でバイナートは対テロ戦争と冷戦初期の類似について紙幅を費やし概説している。どちらの著者も、これまでは中東について熟知している様子は少しも見せなかったし、ましてや彼らが非常な確信をもって意見を述べるワッハーブ派スーフィーの伝統など言うまでもない。

 しかし、クリストファー・ヒッチェンス*5その他の、かつてはリベラル派のパンディット*6、今や“イスラモ-ファシズム”の専門家となった面々と同じく、バイナート、バーマンと彼らの同類は、イデオロギー路線に沿って世界を二分することに長けているだけでなく、そうすることで心地よさげである。ときには、世界史的敵対関係の定式と関連語彙を探し求めて、若かったころのトロツキー主義を振り返りさえする。今日の“戦い”(再利用される抗争、衝突、闘争、戦争に関するレーニン主義の用語に注意)に政治的意味を持たせるためにはやはり、その思想を研究、理論化し、闘うことのできるように1つの普遍的な敵がいなくてはならない。そして、20世紀の先行する対立と同じように、新しい対立もエキゾティックな複雑性と混乱を除去し、慣れ親しんだ二項対立に還元できなければならない。──すなわち、民主主義対全体主義、自由対ファシズム、われわれ対奴ら。

 もちろん、ブッシュのリベラル支持者はブッシュの成果に失望している。私が列挙したどの新聞も、またほかの多くも同様だが、拘束や拷問の適用に関するブッシュの政策を批判する社説を掲載している。何よりも厳しく批判されているのが、大統領による戦争のまったくの不手際さである。だが、ここでもやはり、冷戦は啓発的なアナロジーを提供してくれる。フルシチョフの批判以後、西側のスターリン賛美者は、その罪によってではなく、彼らのマルクス主義を貶めた廉でスターリンに憤懣を覚えた。それと同じようにイラク戦争の知的な支持者たち──マイケル・イグナティエフ、レオン・ウィーゼルタイアー*7、デイヴィッド・レムニック*8その他を含む、北米リベラル・エスタブリッシュメントの著名な面々──が後悔の焦点を合わせるのは、破滅的な侵攻そのものではなく(侵攻は全員が支持していた)、その実行に際しての無能さである。彼らは“予防戦争”に悪評をもたらしたブッシュに腹を立てている。

 類似した傾向はほかにもある。ニューヨーク・タイムズのコラムニストであるトーマス・フリードマンは、戦争に向けたアメリカの猛進に僭越にも反対したという理由で、フランスを投票によって「島から」(つまり安全保障理事会から)追いだせと要求した。イラク戦争開始前に、流血を求める唸り声を誰よりも執拗に響かせていたこうした中道主義者たちだが、現在、世界の諸問題についての洞察を独占していると主張する人々の中で、誰よりも自信に満ちているのは彼らである。同じフリードマンは今、「われわれが足を踏み入れているより大きな闘争について、微塵も考えが及ばない反戦活動家たち」(ニューヨーク・タイムズ8月16日付)を嘲っている。もちろん、ピューリツァー賞受賞のフリードマンによる高徳なる言明が、中程度の教養層に政治的満足を与えることは実地試験で変わらず確証されている。だが、まさにそれが理由で、フリードマンの言葉は、アメリカの知的メインストリームの風潮について確かな指針となる。

 フリードマンをバイナートが後押ししている。バイナートはアメリカの行動が「闘争」にどれほど有害か「了解していなかった」(!)と認める。だが、そうだとしても、「世界的ジハド」に対して立ち向かわない者は、リベラル的価値の一貫した擁護者ではないとバイナートは言い募る。スレートの編集者ジェイコブ・ワイズバーグは、フィナンシャル・タイムズの記事で「イスラムの狂信に対する、より大きく、グローバルな戦闘を真剣に受け止め」ていないと民主党イラク戦争批判者を責め立てる。どうやらこの件に関して口を出す資格があるのは、初めに誤った判断をした人間だけらしい。このように過去の判断間違いにもかかわらず──実際は「にもかかわらず」どころか「が理由となって」なのだが──平然としている様を目にすると、ある評言を思い出す。フランスの元スターリン主義者ピエール・クータードが、事態の展開によって正当性が証明された異論派の共産主義者エドガール・モランに対してぶつけた評言だ。いわく、「きみときみの同類は正しいことで誤っていた。われわれは誤ったことで正しかった」

 “クリントン世代”のアメリカ・リベラル知識人にとって、その“非感傷的タフさ”、そして旧左派の虚妄と迷信を捨てたことは、格別な自慢の種だった。とりわけアイロニックなのは、その同じ“タフ”な新リベラルが、旧左派の最悪の特徴のいくつかを再現していることだ。自分自身では反対側の岸に移住を完了したと思っている。だが、彼らが露わにするのは、先行する冷戦期におけるイデオロギー境界両側の同調知識人を特徴付けていたのと正確に同じ、ドグマティックな信条と文化的粗野の混交物だ。つけは他人にまわすかぎりでの、暴力を伴った政治的変化に賛同する溢れんばかりの意気込みについては言うまでもない。野心的でラディカルな政治体制にとって、そのような人間の利用価値はおなじみの話だ。実際、この種の共鳴知識人たちを最初に認知したのはほかならぬレーニンであり、そうした知識人を描き出すため彼が造った言い回しを超えるものはいまだにない。今日におけるアメリカのリベラル安楽椅子戦士は、対テロ戦争の“有用な間抜け”である。

 公平を期すならば、アメリカの好戦的知識人は独走しているわけではない。ヨーロッパに仲間がいる。ポーランド知識人によるコミュニズム抵抗運動のヒーローであるアダム・ミフニクは、きまりの悪くなるほどイスラムを憎悪するオリアナ・ファラッチ*9のあけすけな賛美者となっている。ヴァツラフ・ハヴェルはワシントンの〈現在の危険〉委員会(共産主義者の根絶が目的の冷戦機関だったがリサイクルされ、現在は「地球規模のラディカルなイスラム主義とファシズムのテロ運動が引き起こす脅威」と戦うことを誓っている)に加わった。パリのアンドレ・グリュックスマンは〈ル・フィガロ〉(最新のもので8月8日)に興奮気味のエッセイを寄稿。「世界的ジハド」、イランの「権力への渇望」、ラディカル・イスラムの「若年層堕落」戦略を激烈に非難している。

 ヨーロッパの場合、この流れは1980年代の知的革命の不幸な副産物であり、とりわけかつての東側共産主義諸国についてはそうである。この革命において、団結行動の基礎として“人権”が従来の政治的忠誠に取って代わった。対抗政治のレトリックの観点からすると、この変化によってもたらされた利得はかなりのものだった。だが、やはりそれなりの代価はあった。“諸権利”の抽象的な普遍主義に対するコミットメントは、あらゆる政治的選択を善か悪かの道徳的言葉で描き出すという習癖にいとも容易く陥りかねない。この光に照らせば、ブッシュの対テロ、対悪、対イスラモ-ファシズム戦争は魅力的で、それどころか馴染みのものに見えてくる。自己を欺く外国人たちは、アメリカ大統領の近視眼的な硬直性を自身の道徳的廉潔さと容易く取り違えることとなった。

 だが、翻ってわが国では、アメリカのリベラル知識人は急速にサーヴィス産業の従事者となりつつある。彼らの意見は忠誠の対象によって決定され、政治的目的を正当化するために微調整される。これ自体としては、新しい一歩とは言いがたい。属する国家、階級、宗教、人種、ジェンダー、あるいは性的嗜好の代表としてのみ語る知識人。生まれや好みによる類縁性に基づく利益とみなしたものに合わせて意見を形づくる知識人。どちらも目新しくはない。だが、過去の時代におけるリベラル知識人の際立った特徴とは、普遍性を求めていくまさにその点にあった。各集団の利害を純朴にも、あるいは不誠実にも否定するのではなく、そうした利害を超越しようとする不断の努力にあったのだ。

 だからこそ、知名度の高い、リベラルと自認する知識人たちが、党派的な立場を推進するために職業上の信頼を悪用するのを読むと、意気消沈させられる。アメリカの哲学エスタブリッシュメントの大物二人、ジーン・ベスキ・エルシュタインとマイケル・ウォルツァー(前者はシカゴ大学神学部、後者はプリンストン研究所勤務)は、不可避の戦争の正しさを証明することを主旨としたものものしいエッセイを執筆した。エルシュタインは「テロに対する正義の戦争:暴力的世界におけるアメリカの重責」でイラク戦争を予防的先制風に擁護。ウォルツァーはつい数週間前、イスラエルによるレバノン市民爆撃について恥知らずな正当化をしている(「フェアな戦争」、〈ニュー・リパブリック〉7月31日付)。今日のアメリカでは、ネオコンサーヴァティヴが考え出す粗暴な政策に、リベラルが倫理的なイチジクの葉を提供している。実際、両者にはそのぐらいしか違いはない。

 自身が推奨する行動について、個人的・倫理的責任を放棄したリベラル知識人のとりわけ意気阻喪させられる流儀の1つは、中東について独自の考えを持つことができない点に見ることができる。対イスラモ-ファシズム、対テロ、対世界的ジハドの世界大戦のチアリーダー役を務めるリベラルのすべてが、リクードの相も変わらぬ支持者というわけではない。一例を挙げると、クリストファー・ヒッチェンスはイスラエルに批判的である。だが、アメリカ人のパンディット、コメンテーター、エッセイストの実に多数が、ブッシュの予防戦争のドクトリンに一転して賛成した。また、イラクレバノンの両者における、一般市民を対象とした空軍力の不釣り合いな行使に対する批判を慎み、血みどろの「新しい中東の産みの苦しみ」を要求するコンドリーザ・ライスの熱狂を前にして、はにかんだ沈黙を続けた。こうした態度は、彼らのイスラエルへの支持を思い起こせば、ずっと意味が取れる。国家戦略の全体を予防戦争、不均衡な報復、全中東の地図を書き直そうとする努力に傾けているイスラエルに、である。

 その誕生以来、イスラエルは自発的戦争(唯一の例外は1973年のヨム・キプール戦争)を何度も戦ってきた。もちろん、これら戦争は不可避的戦争、あるいは自衛戦争だったと世界に対しては提示された。だが、イスラエルの政治家や将軍はそのような幻想とは無縁だった*10。このアプローチがイスラエルにどれほどの善を為したかは議論の余地がある(最近出版された明晰な報告として、歴史家で元イスラエル外相のシュロモ・ベン=アミによる『戦争の傷痕、平和の痛苦 ── イスラエルとアラブの悲劇』ASIN:0195181581。ベン=アミは本書において、自発的戦争を使って近隣諸国の地図を「引き直そう」とする自国の戦略を、完全な失敗として描いている)。だが、超大国が同様のやりかたで振る舞う──テロリストの脅威やゲリラの侵入に対し、抑止力の信頼性を保つために他国家の完全破壊で応じる──のは異常さの極みだ。アメリカがイスラエルの行動を無条件に下支えすることについては、それはそれである(だが、イスラエルのコメンテーターの少なくとも一部が述べているように、どちらの国の利益にもならない)。だが、アメリカがイスラエルを大仕掛けに模倣し、この小国がわずかな敵意や対立にも示す自己破壊的で節度なき反応を輸入して、アメリカの外交政策のライトモティーフとするなど、異様というほかない。

 ブッシュの中東政策は今やイスラエルの先例にぴったりと追従しているため、両者のわずかな差を見つけるのさえ至難の業である。このシュルレアルな出来事の展開が、アメリカ人リベラルの混乱と沈黙(またおそらく、トニー・ブレアの言葉の上では思いやりのある追従政策についても)を説明する助けになる。歴史的に言ってリベラルは、自国の政府が着手、提案した「自発的戦争」に共鳴してこなかった。リベラルの考えでは(リベラルだけに留まらないが)、戦争は最後の手段であり、最初のオプションではない。だが、アメリカは今やイスラエル式の外交政策を採り、アメリカのリベラル知識人は圧倒的な支持を与えている。

 このことから導かれる矛盾は甚だしい。例えば、ムスリム世界に民主主義をもたらすという望みをブッシュは公言しているが、ムスリム世界全体の中で唯一機能している脆弱な民主主義体制──パレスチナレバノン──に対する介入を拒否した。この露骨な不一致は、組織的に無視され、ついでアメリカの同盟国イスラエルによって一掃させられた。この不一致と、それが暗示する不誠実と偽善とは、世界中の社説やインターネットのブログで繰り返し取り上げられ、アメリカの信頼を長期にわたって傷つけている。だが、アメリカの主導的リベラル知識人たちは沈黙を続けている。アメリカによる関与の鼻薬として民主主義を利用するイスラミック・ファシズムに対する「思想戦争」の戦術的論理。近隣民主国家の存在がその利益に適わないどころか、独裁体制より害のある結果を招く可能性が大であるイスラエル国政の戦略的伝統。声をあげるなら、このどちらかを選ばねばならないだろう。このような選択はアメリカのリベラル・コメンテーターは認める気すらないだろうし、ましてどちらかに決められなどしない。だから、彼らは黙っている。

 この盲点は伝統的なリベラルの懸念や抑制をぼやけさせており、そうした懸念や抑制を汚染し、消し去る危険すらある。でなければ、〈ニュー・リパブリック〉8月7日号のあきれるような表紙イラストをどう説明するのか? ヒズボラのハッサン・ナスララを、第二次世界大戦の“ダーティ・ジャップ”風味を少々きかせたデア・シュテュルマー*11のスタイルでけばけばしく描いたあの表紙を? カナでアラブ人の子どもたちが殺害されたことに対して、レオン・ウィーゼルタイアーが同号で行っている込み入ったソフィスト的弁護(「現代は情け深い時代ではない」)をそれ以外にどう説明づけるのか? だが、盲点は単に倫理的なだけではなく、政治的でもある。もしアメリカのリベラルたちが、イラクでの戦争がテロを助長し、イランのアヤトラたちを利し、イラクレバノン化するという予測可能な結果を「了解していなかった」というなら、イスラエルの野蛮な過剰反応はレバノンイラク化する危険があると彼らが理解している(あるいは気にかける)と期待すべきではないのだ。

 『私の経験した5つのドイツ』ASIN:0374155402、フリッツ・スターン──1988年の〈ニューヨーク・タイムズ〉に掲載されたリベラリズム擁護の文章の共著者の1人である──は、今日のアメリカにおけるリベラル精神の状況についての懸念を書き留めている。彼が書くところでは、リベラル精神の消滅こそ、共和制の死の始まりなのだという。歴史家であり、ナチス・ドイツから難民として逃れてきたシュテルンは、この問題について語る権威がある。そしてかれはきっと正しいのだ。右翼が共和体制の健康について、十分な注意を払うとは期待できない。とりわけ、彼らが帝国の一方的拡大にたゆみなく従事しているときはそうだ。そしてイデオロギー的左派は、リベラル共和体制の欠点を分析するさいにはときおり巧みなところを見せるが、概して共和制の擁護にはたいした関心がない。

 だからこそ、リベラルが重要なのだ。彼らはどうやら近代民主制という硫黄性の立坑のカナリアであるらしい。アメリカのもっとも傑出したリベラルの多数が、対テロ戦争の名のもとに自己検閲を行った積極性。戦争と戦争犯罪イデオロギー的・道徳的遮蔽物を発明し、政治的敵にその遮蔽物を進呈した熱意。これはどれも悪い兆候だ。リベラル知識人は、他人へのサービスとしてではなく、自分自身のために考える努力でかつては抜きん出ていた。知識人は乙に澄まして終わりなき戦争の理論化などすべきでないし、ましてや確信を持ってそうした戦争を推進し、実行するなど論外である。彼らは平安を乱すことに乗り出すべきなのだ──何よりも自分自身の平安を。

*1:Michael Massing。ジャーナリスト、作家、講師。アメリカの麻薬戦争についての批判的報告である"The Fix: Solving the Nation’s Drug Problem"(1998)ASIN:0520223357、非常に高く評価されている。また、戦争と危機におけるメディアと政治権力の関係に関心を持っており、イラク戦争前の段階において適切な報道ができなかった米メディアについて分析した"Now They Tell Us"を〈ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス〉に寄稿している。

*2:Mark Danner。本人サイトあり。ジャーナリスト、作家、バークレーのジャーナリズム教授。アメリ外交政策と人権侵害について長年記事を書いている。著書にエルサルバドルの虐殺を検証した"The Massacre at El Mozote: A Parable of the Cold War"(1994)、"Torture and Truth: America, Abu Ghraib and the War on Terror"(2004)、"The Secret Way to War: The Downing Street Memo and the Iraq War's Buried History"(2006)などがある。

*3:Paul Berman。ワールド・ポリシー・インスティテュートの上級研究員、ニューヨーク大学のジャーナリズム教授。バーマンは『テロとリベラリズム』おいて、汎アラブ主義(例えばイラクバース党)とラディカル・イスラム主義の根は同じでどちらも反リベラリズムであり、両者はムスリム全体主義として一括してあつかうべきであると主張している。

*4:Peter Beinart。現在は同誌の編集顧問。〈ワシントン・ポスト〉にも定期的に寄稿。『よい戦い』が初めての著書となる。同書でバイナートは、対テロ戦争においてトルーマンケネディの“タフな”外交政策にリベラルは倣うべきだと主張。

*5:Christopher Hitchens。著名なジャーナリスト、文学・政治批評家。若いころは好戦的なトロツキー主義者の左派であり、〈ネイション〉など左/リベラルの雑誌に定期的に寄稿し、キッシンジャーベトナム湾岸戦争を厳しく批判していた。だが、89年、友人のサルマン・ラシュディーがホメイニから死刑宣告されたことにショックを受け、マルチカルチュラリズム的な左派と距離を置きはじめる。また、左派がコソヴォ介入に煮え切らない態度をとったことにより、ヒッチェンスは左派からさらに離れ、ネオコンの何人かと親交を結びはじめる。9/11後、ヒッチェンスは左派と決定的に決裂し、〈ネイション〉誌上でチョムスキーらと論戦ののち、同誌を離れる。現在の政治的立場はウォルフォウィッツなどのネオコンに近い。イスラモ-ファシズムはヒッチェンスの造語だとしばしば言われるが、それは誤りらしい。著書に"Why Orwell Matters"(2002)、"The Trial of Henry Kissinger"(2002)、"A Long Short War: The Postponed Liberation of Iraq"などがある。

*6:専門家、権威筋、事情通。なぜかアメリカのブログでよく用いられる。少々侮蔑的なニュアンスもある。

*7:Leon Wieseltier。文芸批評家、作家。〈ニュー・リパブリック〉の文芸欄を長年にわたって担当。父親の死の衝撃が契機となって書きはじめられた神学的・哲学的瞑想録/日記の"Kaddish"(1998)は好意的評価を受けた。

*8:David Remnick。編集者、ジャーナリスト、作家。現在の〈ニューヨーカー〉の隆盛を支える立役者の1人。"Lenin's Tomb: The Last Days of the Soviet Empire"で、1994年ピューリツァー賞を受賞。

*9:Oriana Fallaci。つい一週間前ぐらいに亡くなった。イタリアのジャーナリスト。ゴルダ・メイアハイレ・セラシエ、サミー・デイヴィス Jr、フィデル・カストロモハメド・アリなど国際的著名人に対する徹底的なインタビューでキャリアを築き、そのインタビュー・スタイルはもてはやされた。ガンと診断され90年以降治療に努めていたが、9/11後〈コリエーレ・デラ・セラ〉紙に激烈なイスラム誹謗記事を掲載。イスラモ-ファシストのアラブ人たちがアルカイダの手引きで大量移民してきて、ヨーロッパがユーラビア(ヨーロッパとアラビアを合成した造語)になるなど主張した。記事はのちに"The Rage and the Pride"としてまとめられ、続編の"The Force of Reason"ともどもヨーロッパでベストセラーになった。

*10:例えば、もっとも不可避的戦争だったようにみえる六日戦争について。──“イツハク・ラビンもエゼル・ワイツマンも、自叙伝の中で、1967年6月の攻撃の前、軍部が政府への反対を組織し、政治的解決へ向かわせないように妨害工作をした事実をはっきり認めている。参謀総長ラビンは、「ナセルは戦争を望んでいなかった。彼がシナイ半島に進軍させた二師団では攻撃用には不十分で、ナセルはそのことが分かっていたし、我々も知っていた」(『ル・モンド』1968年2月28日)と語っている。レヴィ・エシュコール自身も、「シナイ半島のエジプト軍の展開状況や装備水準から見れば、エジプト軍はイスラエルの南で防衛する構えであることは明らかだった」(『イディオト・アハロノト』1967年10月16日)と認めている。1982年8月8日、メナヘム・ベギン首相は、レバノン侵攻を弁解して、「1967年6月にも我々は選択しなければならなかった。エジプト軍はシナイ半島に集結したが、それはナセルが本当にイスラエルを攻撃する意図があるという証明にならなかった。我々は自分に対して正直であらねばならない。攻撃を決定したのは我々のほうであった」”(バールフ・キマーリング『ポリティサイド』より)。

*11:1923年から45年までドイツで発行されたどぎつい反ユダヤ主義の週間タブロイド新聞。