ブッシュ vs. カミュ

フォルダ整理していたら見つかった。ちょっと時期を逸している感はあるが、とりあえず。
しかしアブグレイブが露見したときは「これで何もかも吹っ飛ぶ(吹っ飛べ)」と思ったんだがなあ。"A few bad apples"の仕業ってことで逃げ切ったのか……。


ブッシュ vs. カミュ
 アルベール・カミュとマルコンフォールがアメリカの拷問政策について語ること

By ピーター・ブルック

 アメリカの「対テロ戦争」における拘留者の扱いをめぐる議論が加熱するなか、私が思い出したのはアルベール・カミュの小説「転落」、その卑屈な語り手の独白の鍵となる瞬間のことだった。語り手ジャン=バディスト・クラマンス──「さもしい時代のむなしき預言者」──は聞き手にマルコンフォールという名の中世の独房の話をする。マルコンフォールは「絶妙な寸法」の独房で、直立できるほどの高さはなく、身を横たえられるほどの幅はない。囚人は身を屈めたまま生を送る。クラマンスによれば、これは囚人に自分は有罪であるに違いないと教え込む方法なのだという。なぜなら罪のない状態とはまさに自由に動き回れるという点に存するからだ。

 マルコンフォールの囚人が無実だとは考えるのも不可能だ。そうクラマンスは主張する。「無実の者がせむしのように生きることを強制される、そんな仮定は一刻たりとも認めることはお断りですね」。無実の人間がそんなやり方で罰せられると考えるのは道徳上の躓きの石になる。そんな可能性は考えるに耐えない。マルコンフォールに入れられた者は当然有罪に違いない、そう決めこんだほうがずっとずっと心安らかだ。

 カミュアルジェリア戦争のさなかに「転落」を書いた。現在のアメリカと同じように、拷問の問題をめぐってフランスが良心の危機に直面しつつあった頃である。実際、アルジェリアでのフランスの経験とイラクでのアメリカの経験には、はっきりとした平行関係がある。目下の対テロ戦争と同じく、アルジェリアを鎮圧し、領有し続けようとするフランスの努力の大半は、環境に溶けこんでいるほとんど不可視の敵に向けられた。情報収集こそが鍵であり、これが拷問への道を開いた。

 フランスが拷問に関与していた事実は『尋問』によってついに公にされ、非難された。『尋問』はフランス軍の手による拷問を身をもって経験したL'Alger Républicain紙の編集者アンリ・アレッグの記録である。『尋問』は1958年2月に出版されると、フランス政府によってただちに差し止めを受けたが、その影響は残った。フランス国民が進行中の事態を否定するのはもはや不可能になった。これはNew Yorkerに掲載されたアブグレイブの写真のフランス版に相当し、フランスの良心の上に同じように炸裂した。

 拘留者に対する多種多様な形態の虐待がここ数年で暴露されてきた──秘密刑務所、拷問を行っている外国政府への「引き渡し」、ウォーター・ボーディングなどの「強化尋問」技術の行使。そうした虐待を知ったアメリカ人は、もちろんクラマンスと同じ立場を取ることもできる。拷問にかけられた者はあきらかに当然の報いを受けたのだ。その種の人間は有罪にちがいない。ああいった扱いを受けた人間が無実でありうるなどという考えは、道徳的に受け入れがたい。

 ブッシュ政権はマルコンフォール並みにひどい独房に囚人を閉じこめたという点について有罪ではないかもしれないが(こうした条件とほとんど等しい事例をほのめかす報告書もあるにせよ)、グアンタナモに建てられた独房は、中世の城の最深部、最も湿ったところにある牢獄を指す名前に近似している。オーブリット[忘却牢]*1、人々を投げ込んで、彼らのことを考えずにすむ場所である。彼らには独房を去るという機会は与えられていない。法手続きが進められるという見通しもない。裁判、上訴、いや最も単純なレベルの法的な権利もない。グアンタナモ──拘留者を法の外に置くために入念に選ばれた立地──にブッシュ政権は忘却の地を作り出し、この場所を司法手続きに開こうとするあらゆる努力に抵抗している。これよりはるかにひどい、言語を絶した条件で囚人を収容しているかもしれない秘密の場所について、われわれはまだ何も知らない。

 ブッシュ政権の態度は、もちろん、われわれは知り得ないし、知る必要すらないというものだ。なぜならクラマンスと同じくかれらの主張では、敵性戦闘員、テロリスト、ジハディストとこれら囚人を名指すことで、そうした扱いは十分正当化されるからだ。かれらはアメリカの法廷にアクセスを与えられるべきでない。また彼らは捕虜(POW)ではないので、交戦状態の終結によって必ずしも帰国させなくともよい。いずれにせよ交戦状態は当面終結しない。対テロ戦争は永遠に継続すると仮定されているからだ。ブッシュ政権は囚人の処遇について、アフガン・イラク戦争の帰結に関するあらゆることについてと同様に、準備ができていなかったのではないか。囚人たちは、失費はさておいても、いまでは少々負担と当惑の種となっている。

 拷問についていえば──ブッシュ政権がこの語にどんな解釈を与えようと、われわれは拷問があったとわかっている──、ジャン=ポール・サルトルがアレッグの『尋問』に対して寄せた応答が、今日のわれわれに不気味なほど関わりのある点をついている。


 1943年、ルー・ローリストン(パリのゲシュタポ本部)では、フランス人たちが激しい苦痛に叫び声をあげていた。全フランスが彼らの叫びを耳にした。当時、戦争の行く末は不確かで、われわれは未来のことは考えたくなかった。ただ1つ、どんな状況においても不可能に思えることがあった。いつの日かわれわれの名のもとに行動する者が、人間に苦痛の叫び声をあげさせることになるとは。
 われわれの名のもとにいかなることが為されたか、サルトルのおののきと怒りを私は共にしている。

 フランスによるアルジェリア植民地戦争にカミュがはっきりしたスタンスを取れなかったことはよく知られている。カミュは、結局のところアルジェリア生まれのフランス人だったのだ。「転落」は何にもまして、無罪を主張することの困難についての苦悩の表現である。嫌悪を催させる人物であるクラマンスは、人類すべてを彼自身の罪に関与させたい。ブッシュ大統領アメリカ国民を拷問の決定に関与させたいらしいのと同じように。カミュはクラマンスの恥ずべきほのめかしへの返答として、はっきりとした満足のいくメッセージを与えていない。

 クラマンスは万人の罪を宣告したい。ただ罪を一般化することだけが彼自身の有責性を和らげるのだ。アルジェリア戦争終結後、フランス人は彼らが拷問に関与したことに繰り返し直面することを余儀なくされている。回想録や歴史はアレッグの証言やサルトルの判断を確かにするのみだった。アメリカ人も、彼らの指導者がどのように彼らを拷問体制に引きずり込んだか、今はまだ持つことのできない冷静な回顧の眼で、評価する日が来るだろうことを予見するのは難しくない。

 カミュについていえば、アルジェリア戦争より前の1946年、Combat紙に発表されたエッセイで、カミュは印象的なフレーズで彼が求めている道徳的基盤を要約している──"Ni victimes ni bourreaux"。Politics誌のレビューでのドワイト・マクドナルドの翻訳では、カミュのフレーズは「犠牲者でもなく、処刑人でもなく」だった。bourreauという単語には処刑人のほかに、拷問吏という意味もある。「犠牲者でもなく、拷問吏でもなく」。前者──9/11後にアメリカ人が抱いた正当な犠牲者感情──から、後者へとわれわれは移行した。ブッシュと彼の正当化/合理化の担当者たちによる拷問への関与の提案に対しては、私にとってはただ1つの答えしかないように思える──条件なしのノー。クラマンスの狡猾なほのめかしにも、引き渡し、秘密収容所、強化尋問にも、ノー。

ピーター・ブルックスはヴァージニア大学で文学と法を教えている。

*1:フランス語の「忘れる」(forget)の名詞。たぶん。