リアリズム vs ネオコンサーヴァティズム

友人と話していてどうもネオコン理解が陰謀論的というか、話がどうにも噛み合わないので、ジョン・ミアシャイマーの講演をちょっと翻訳した。
講演が元になっているので、文章も少々冗長で、論旨も単純化しすぎているが、ネオコンについてはまずこのぐらい大雑把に理解しておいたほうがありがちな間違いを避けやすい気がする。

ジョン・ミアシャイマー

ジョン・ミアシャイマー(1947-)はシカゴ大学政治学部教授。国際関係論におけるリアリズムの一派であるオフェンシヴ・リアリズムの主導者である。オフェンシヴ・リアリズムを説明するために国際関係論のリアリズムについて、簡単な素描をする。

第一次世界大戦以前は、リベラリズムが国際政治理論の見解として有力だった。戦争は貿易の害になり、コストが嵩みすぎるため、十分に発展した資本主義世界では戦争はもはや不可能事であると広く主張されていた。こうした考えは二つの大戦と戦間期の安全保障の失敗で粉々に打ち砕かれる結果となった。
このため、第二次大戦後には、リアリズム、あるいは古典的リアリズムと呼ばれる理論が隆盛した。このリアリズムにおける国際環境とは、「万人に対する万人の闘争」の世界である。この世界では、唯一重要なアクターは国家であり、国家の目標は安全保障(生存)とそれを可能にするパワー(主に軍事力)の追求にあるとされる。古典的リアリズムにおいて、国家は各行動それぞれに結果する利益を考量する理性的主体とみなされるため、その理論はある意味では、利益を最大化せんとする主体の行動準則集のように読める(例えばモーゲンソーの「4つの根本的規則」「5つの妥協への必要条件」などを見よ)。ハンス・モーゲンソー、ジョージ・ケナン、E.H.カーらが代表的な古典的リアリストである。

ケネス・ウォルツが築いたネオ・リアリズム、あるい構造的リアリズムは、基本的な点をリアリズムから引き継いではいるが、個々のアクターではなく、アクターがその中で活動する国際システムの構造を問題とする。国際システムは無政府的、つまり支配者が存在しないシステムと理解され、この無政府構造が各アクターの振る舞いを決定付けているとネオ・リアリズムは考える。古典的リアリズムのように個々のアクターの性質ではなく、システムの構造が問題なのだ。加えて、構造的リアリズムは科学的理論への脱皮を志向し、個々の国家のパワーの差異で各国家の行動は規定されると主張する。ウォルツのほかには、ロバート・ジャーヴィス、スティーヴン・ウォルトらが代表的な構造的リアリストである。

通常の構造的リアリズムは、諸国家は比較的静的なバランス・オブ・パワー、現状維持を志向すると考えるのに対して、ミアシャイマーのオフェンシヴ・リアリズムは、大国は完全な生存と安全の保障を求めて、不可避的に覇権国(hegemon)を目指すとする。

その理論の好戦的性格から予測できるように、ミアシャイマーは論争を好む。1990年の"Back to the Future"では、冷戦後のヨーロッパが20世紀前半のような多極世界に回帰すると主張、戦争抑止のためドイツの核武装などを提言した。また、自身のオフェンシヴ・リアリズムの立場から、アメリカの中国政策を批判。アメリカは中国経済を援助することで中国が地域の覇権国となることを助けており、最終的に別の地域的覇権国であるアメリカと衝突する結果になると警告している。

また、講演にもあるとおり、ミアシャイマーは早い段階からイラク戦争に反対していた。2002年9月には30名の教授と連名でイラク侵攻反対を表明した意見広告をNew York Timesに掲載(参照)。2003年初頭にはスティーヴン・ウォルトとともに論説"An unnecessary war"(参照)をForeign Policyに寄せている。

ここまでのイラク戦争への批判は学説に則った比較的オーソドクスなものだったが、2006年3月、ミアシャイマーとウォルトは爆弾を落とした。2人は共著として論文"The Israel Lobby and U.S. Foreign Policy"(参照)とその簡約版(London Review of Books)を発表、アメリカの外交政策は「イスラエル・ロビーの比類なきパワー」のネガティヴな影響を受けており、「イラク戦争イスラエルをより安全にするという望みにかなりの部分が動機付けられていた」と主張したのだ。この論文は反ユダヤ主義であるとの非難と、内容の是非をめぐる激しい論争を巻き起こし、論争は今も継続している(wikipediaが論争の便利なハブになっている)。

ハンス・モーゲンソーとイラク戦争


 この記事は、ハンス・モーゲンソー生誕百年を記念して、2004年10月28-30日にミュンヘンのヘルベルト・クヴァントBMW財団でミアシャイマーが行った講演を元にしている。このカンファレンスのタイトルは「ハンス・J・モーゲンソー ── 遺産、挑戦、そしてリアリズムの未来」である。

ハンス・モーゲンソーとイラク戦争:リアリズム vs ネオコンサーヴァティズム
 ジョン・ミアシャイマー
 2005年5月19日

 アメリカの著名な外交リアリストであるハンス・モーゲンソー(1904-1980)はベトナム戦争に反対した。彼はネオコンサーヴァティヴのイラクでの冒険にも同様の欠陥があると考えたはずだ、とミアシャイマーは述べる。

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 ハンス・ジョアキム・モーゲンソーは20世紀の最重要政治思想家の1人であり、全時代を通じ偉大なリアリスト思想家の1人に数えられる。モーゲンソーは、米国のリアリストのほとんど全員──ヘンリー・キッシンジャーをのぞく──と同じく、ベトナム戦争に反対だった。彼らの反対は早い段階、ベトナム戦争の失敗が明白になるよりずっと前に表明された。実際、モーゲンソーは1950年代後半にアメリカによるベトナムへの軍事関与に反対し、警告を発している。

 同様に、米国のリアリストのほとんど全員──ヘンリー・キッシンジャーをのぞく──がイラクとの戦争に反対だった。米軍が出口なしに思える全面的戦闘に釘づけとなっていることがますますはっきりしてきたため、イラク戦争支持者の多くが今となって考えを改めはじめている。しかし、リアリストは戦争開始前から大きな問題を予期していた。この点に関して、リアリストたちは総じて正しかった。

 これらの事実を考え合わせると、素朴な疑問が浮かぶ。ハンス・モーゲンソー、ベトナムとの戦争に反対したこのリアリストは、イラク戦争に反対しただろうか? われわれは決して確実なところを知ることはできないので、まったくの確信をもってモーゲンソーはイラク戦争に反対したと述べるのは愚かなことだろう。だが、モーゲンソーの国際政治の理論とベトナム戦争への反対、そして2つの戦争の平行関係を考えに入れると、モーゲンソーがイラク戦争に反対する見込みはかなり高い。
ネオコンサーヴァティヴの論拠:軍事力〉
 イラク戦争をするべきか否かについての論争が、国際政治の対立する二理論のあいだで起こった。リアリズムと、ブッシュ・ドクトリンを基礎づけているネオコンサーヴァティズムのあいだにである。イラク戦争に反対するリアリストの論拠を理解するためには、まずリアリストが異議を唱えているネオコンサーヴァティヴの戦略を説明する必要があるだろう。

 ネオコンサーヴァティヴの理論──ブッシュ・ドクトリン──は、本質的には‘牙’を備えたウィルソン主義である。この理論には理想主義の要素とパワーの要素がある。ウィルソン主義が理想主義を規定し、軍事力への強調が‘牙’を規定する。

 ネオコンサーヴァティヴは米国が著しく強力な軍隊を持っていると考えているが、これは正しい。今日の米国が持つほどの相対的軍事力を手にした国家は、地球上にほかに存在しなかったと彼らは考えている。そして非常に重要な点として、このパワーを使い、米国の利益に適合するように世界を作り変えることができると彼らは考えている。要するに、彼らは棍棒外交が有効だと考えており、これがブッシュ・ドクトリンが外交より軍事力を特別扱いする理由である。

 軍事力の有効性についてのこうした考えが、ブッシュ政権ネオコンサーヴァティヴがマルチラテラリズムよりユニラテラリズムを好む理由の大部分を説明する。もし米国が軍事力より外交を強調するなら、これほど頻繁にユニラテラルな行動をとれないだろう。なぜなら、外交とは定義からして非常にマルチラテラルな企てだからだ。しかし、もし一国家が恐るべき軍事力を備え、国際システムのなかでそのパワーに大きく頼って務めを果たせるなら、同盟国を必要する場合はそれほどない。言葉を変えれば、その国家はユニラテラルに行動できる。第一期のブッシュ政権がしばしばそうしたようにである。

 ネオコンサーヴァティヴは軍事力は世界を動かす非常に効果的な手段であると考えているが、そのわけを理解する鍵は、ネオコンサーヴァティヴが国際政治はバンドワゴンの論理で動いていると考えている点にある。具体的に言うと、もしアメリカのような大国が自ら進んで敵を脅すか攻撃すれば、国際システム内のほぼすべての国──敵味方問わず──がアメリカは本気であり、アンクル・サムに逆らえばひどい代価を支払うことになると、ただちに理解するはずだ。本質的には、世界の他の国はアメリカを恐れ、アメリカに挑戦しよう考えていた国家さえも両手を挙げ、アメリカのバンドワゴンに飛び乗ることになる。

 イラク戦争前、リアリストならネオコンサーヴァティヴにこう言っただろう。イラクに加えイランと北朝鮮“悪の枢軸”に含めることで脅すなら、この2ヶ国は核兵器獲得に向けた努力を倍加させる方向に押しやられる、と。ネオコンサーヴァティヴはリアリストにこう言っただろう。サダム失脚へのイランと北朝鮮の反応は、自分たちがヒットリストのNO.2とNO.3に載っていることを理解し、降伏することで同様の運命を避けようとする、と。要するに、死の危険を冒すぐらいなら、アメリカのバンドワゴンに飛び乗るはずだというのだ。

 イラク戦争の批判者たちはネオコンサーヴァティヴにこうも言うはずだ。イラク侵攻前にイスラエルパレスチナ紛争を解決しておくのが道理に適っている。ネオコンサーヴァティヴの返答は、アメリカがイラクで勝利を収めれば、ヤセル・アラファトイスラエルとの和平条約にサインすることを余儀なくされるというものだ。エルサレムへの道はバグダッドを通っているというわけである。強いアメリカがアラブ世界のトラブルメイカーらに断固たる態度で臨めば、パレスチナ人は壁に描かれたメネ・メネ・テケル・パルシンの文字を理解するだろう。

 バンドワゴンの論理はまた、名高い“ドミノ理論”の基礎を成している。ドミノ理論によると、もしベトナムコミュニズムの手に落ちれば、他の東南アジア諸国もただちにベトナムに続き、次いで他地域の諸国もソ連支配下に入りはじめるとする。最終的に国際システム上のほぼ全国家がソヴィエトのバンドワゴンに乗り、アメリカは孤立し、制止不能ジャガーノートにただ1人相対することになるのだ。

 約40年後、ブッシュ政権はドミノ理論をひっくりかえして利用できると考えた。サダムを叩きふせれば、全世界といわないまでも、中東に雪崩式の影響を与えると彼らは考えた。イラン、北朝鮮パレスチナ、そしてシリアは、イラクにおけるアメリカの華々しい勝利を目にすると、両手を挙げて降伏し、アンクル・サムの音楽に合わせて踊りだすだろう。

 バンドワゴンの効力についてのネオコンサーヴァティヴの信条は、いわゆる軍事革命RMA)への信頼に相当部分基づいていた。とりわけ、ステルス技術と精密誘導空爆兵器、そして小規模だが機動性の高い地上軍を頼みとして、米国は迅速で決定的な勝利が得られると彼らは信じていた。モハメド・アリの言葉を借りれば「蝶のように舞い、蜂のように刺す」ことのできる敏速な軍事的手段をRMAブッシュ政権に提供すると、彼らは信じていたのだ。

 彼らの見方では、米軍は空から急降下して政権をやっつけると、撤退してショットガンを再装填、次のターゲットへ向かう。おそらく地上部隊が必要な場合もあるだろうが、その部隊も少数でいい。ブッシュ・ドクトリンは大軍隊を必要としない。実際、大きな陸軍に過度に頼るのは、この戦略のアンチテーゼである。戦略の実用に不可欠な敏速さと柔軟性を軍から奪ってしまうからだ。

 この大部隊に対する偏見が国防次官(著名なネオコンサーヴァティヴの)ポール・ウォルフォウィッツと国防長官ドナルド・ラムズフェルドが(当時の米陸軍参謀総長だった)エリック・シンセキ大将の状況評価を即座に退けた理由を説明する。シンセキはイラクを占領するのに「数十万の軍」が必要になると評価した。ラムズフェルドとウォルフォウィッツは、もし米軍がサダム打倒後に相当数の部隊をイラクに展開する必要があるなら、米軍は釘づけにされ、蝶のように舞い、蜂のように刺せなくなると理解していた。イラクの大規模な占領は、RMAに頼って迅速で決定的な勝利を得るというブッシュ政権の計画を掘り崩してしまう。

 要約すると、RMAはバンドワゴンを可能にすると仮定され、そのバンドワゴンが棍棒外交を可能とし、そして棍棒外交がユニラテラル外交政策を実現可能なものとするというわけだ。

ネオコンサーヴァティヴの論拠:ウィルソン的理想主義〉

 ネオコンサーヴァティヴの国際政治理論の理想主義的、あるいはウィルソン的要素は民主主義の推進に焦点をあてる。民主主義こそ地上で最も強力な政治イデオロギーであると彼らは考えている。さらに彼らは世界は良い国家と悪い国家に分けられ、民主主義国家は善玉であると考える。

 民主主義国家は恵み深い意図を持ち、ほかの国家に対し平和的に振る舞う生来の傾向がある。民主政体が好戦的な方法で振る舞うのは、悪玉──必然的に非民主政体ということになる──が選択の余地を奪った場合にかぎられる。もちろんネオコンサーヴァティヴは、民主主義国家は互いを相手に戦争を行うことはまずないという民主主義平和理論*1の有効性を信じている。ゆえに、もし合衆国が民主主義国家のみで占められた世界の誕生に寄与できるなら、戦争はもう起こらず、フランシス・フクヤマの言う有名な“歴史の終わり”に到達するだろう。国際システム内の全国家が、言うまでもなく道徳的である民主主義国家アメリカのようになれば、全員が善玉で悪玉は1人もいない世界になり、定義からして、平和な世界になるだろう。

 1989年の冷戦終結とともにわれわれは歴史の終わりに到達し、この先数十年、退屈が主要な問題になる、そのようにフクヤマは考えた。しかし9/11によって、西洋は当面退屈することはないことがはっきりした。アラブ・イスラム世界、特に中東から出てくる大物テロリストの脅威に直面しているからだ。ネオコンサーヴァティヴのこの問題に対する反応は、中東に民主主義体制がまったくといっていいほど存在しないことがこの問題の根本にあると論じることだった。

 言いかえれば、アメリカのような国が実質的に存在しないこの地域には、歴史の終わりの論理はあてはまらない。解決法は明白である。民主主義を中東に、そして望むべくは広くイスラム圏に輸出するのだ。地域を作り替えて民主主義国家の領域にすれば、テロリズムの問題は姿を消すと、ネオコンサーヴァティヴは言う。結局のところ、米国をモデルとした国家はテロという手段をとらないのだから。

 それゆえ、ブッシュ・ドクトリンは民主主義の拡大、とりわけ中東における拡大の重要性を強調する。イラクはこの企てにおける最初の大きな行動だった。ただし、アフガニスタンに対する戦争が最初の一歩で、イラクは二番目だとも言えるかもしれない。どちらにせよ、イラクは最後の一歩として意図されてはいなかった。

 2003年4月9日のバグダッド陥落後の高揚した日々に、ブッシュ政権とそれを援護するネオコンサーヴァティヴは、軍事力による脅しや実際に軍事力を行使することによって、イランやシリア、最終的には中東全域を民主主義国家に変える意図をはっきりさせた。これは大規模な社会構造変革であり、武力を手段として実現される予定だった。

 ブッシュ政権を保守と呼ぶのは、少なくとも外交政策にかぎっていえば、間違っている。政権はラディカルな外交政策を追求しており、その政策の長所がどのように評価されているか注意を払わない。真の保守ならこれほど誇大な政策を採用しないはずだ。さらにネオコンサーヴァティヴがアメリカに処方する外交政策の射程と野望を考慮すると、ネオコンサーヴァティヴという名称は実体とかけ離れているといってもいい。

 ネオコンサーヴァティヴブッシュ大統領も、民主主義の歴史がほとんどない中東で民主主義がどうやって根を張るのか詳細を説明しようとしなかった。さらに米国が銃口を相手に向けたまま、この変化をどうもたらすのかについてもほとんど語られなかった。サダム・フセインやほかの暴君から権力を奪えば、民主主義が芽吹くはずだと単に決めこんだだけだった。

 国づくりが特に得意とは決していえない米軍が、異質かつ十中八九敵対的な文化で大規模な社会構造変革をどのように行うのかについて、アメリカ国民は説明を要求しなかった。これは彼らの相当の不面目である。

 要点をまとめれば、イラク侵攻へと導いたネオコンサーヴァティヴの国際政治理論には、棍棒外交とバンドワゴンの論理を強調するパワーに基づく要素と、中東、いやおそらく全世界にまで民主主義の拡大を求める理想主義の要素があるということだ。

〈ハンス・モーゲンソーとリアリズムによるネオコンサーヴァティズムへの批判〉

 では、このネオコンサーヴァティヴの理論に対するリアリストの批判はどのようなものか。また、ハンス・モーゲンソーはイラク戦争の賛否についての議論に対しどのように反応しただろうか。

 リアリストは、バンドワゴンの世界にわれわれは生きているとは考えない。その正反対に、バランス・オブ・パワーの世界に生きていると、リアリストは考える傾向がある。この世界では、ある国家が別の国家の顔に拳を突きだしたとき、その別の国家は両手を挙げて降伏したりしないのが普通である。そうではなく、自らを守るための方法を探る。脅しをかける国家に対してバランスを取ろうとするのだ。

 それゆえ、イラク攻撃に対して、イランと北朝鮮は核開発計画の断念で対応せず、核の抑止力を得てアメリカのパワーから安全になるために一層の努力を払う結果となるとリアリストは予測した。もちろん、これこそが過去2年でまさに起こったことだった。悪の枢軸の残り2ヶ国のどちらもブッシュ政権の脅迫に屈する兆候はない。簡単に言えば、われわれはバランス・オブ・パワーの世界に生きているのだ。

 ヨーロッパのアメリカ同盟国はイラクの後に調子を変え、ブッシュ・ドクトリンを支持するとネオコンサーヴァティヴが期待していたことも注目に値する。アメリカがその剣の力を誇示すれば、意気地なしのヨーロッパは、世界が他ならぬアメリカの統治のもとで動いているという事実を受け入れざるを得ないとネオコンサーヴァティヴは考えたのだ。これまでのところ、フランスとドイツはこの筋書きにしたがう様子はない。

 バランス・オブ・パワー対バンドワゴンについてのモーゲンソーの見方についていえば、モーゲンソーがドミノ理論をどう考えていたかが決定的な点である。ドミノ理論はバンドワゴンの論理に基づいており、この理論こそがベトナムで戦争をするべきかについての論争の中心にあったからだ。

 驚くほどのことでもないが、モーゲンソーはドミノ理論をたわごとだと考えていた。すべてのリアリストと同じく、われわれが生きるのはバランス・オブ・パワーの世界であり、ベトナムの陥落は東南アジアに雪崩式の影響を与えないし、ましてや全世界に影響するなど論外だとモーゲンソーは理解していた。イラク侵攻によって、ほかのアメリカの敵国はブッシュ政権の音楽に合わせて踊り出すというネオコンサーヴァティヴの主張をモーゲンソーが受け入れるとは考えがたい。

 ネオコンサーヴァティヴ理論の理想主義的要素についていえば、今現在のほとんどのリアリスト同様にモーゲンソーもイラク戦争に反対したはずだとみなす論拠はずっと強固だ。リアリストは、地球上で最強の政治イデオロギー民主主義ではなくナショナリズムであるとの考えに傾いている。ブッシュ大統領と彼のネオコンサーヴァティヴの仲間は、たいがいナショナリズムを無視している。ナショナリズムは端的に彼らの議論の一部をなしていないのだ。彼らにとって、強調は常に際だって民主主義におかれ、民主主義拡大を促進するために他国を侵略するのは魅力的なオプションであると信じているのだ。

 対照的にリアリストは、中東のような地域にある国に侵攻し、占領することはたいていの場合、ナショナリズムによってひどく高くつくものになると考える。途上国の人々はナショナリズムの本質である自決(自己決定)を熱烈に信じている。アメリカ人やヨーロッパの人間に彼らの生活を支配してほしくないのだ。ナショナリズムのパワーは、ヨーロッパの大帝国──イギリス、フランス、オランダ、ポルトガルオーストリア-ハンガリーオスマン、ロシア──が今では歴史のゴミ箱入りしている理由の大部分を説明づけている。

 ナショナリズムによって、解放者が占領者に早変わりし、大規模な反乱に直面することを示す事例はほかにもある。例えば、イスラエル1982年にレバノンを侵攻し、はじめは解放者として歓迎された。だがイスラエルは度を超して長居しすぎて反乱の発生を招き、18年後レバノンから追いだされた。

 アメリカのベトナムでの経験とソヴィエトのアフガニスタンでの経験は、同じ基本パターンに合致する。ただアメリカとソヴィエトの学習曲線は、イスラエルよりは少し傾きが急だったが。一言でいえば、ナショナリズムの時代に米国がイラクやほかの中東諸国を侵略、占領し、アメリカに友好的な政治システムへと変化させるという目的を達することができると思うのが馬鹿げていると、そもそもの初めからリアリストは考えたのだ。

 モーゲンソーがナショナリズムを強い政治的力とみなし、その考えがほかの要素にもましてベトナム戦争反対に彼を導いたことはほとんど疑いない。ベトナム戦争期、これは民主主義と共産主義の戦いであり、アメリカが負けることは許されないと多くの者が主張した。モーゲンソーはこうした見方を退け、北ベトナム人とヴェトコン(南ベトナムのゲリラ勢力)は共産主義ではなく主にナショナリズムによって動機づけられており、必然的に米軍を植民地主義の占領者とみなし、国から追い出すために激しく戦うだろうと主張した。

 もしアメリカが大軍隊をベトナムに投入すれば、負かすのが極めて難しい大規模な反乱に米軍は直面すると、モーゲンソーは理解していた。これと同じ基本的論理がイラクにも当てはまるとモーゲンソーは理解し、ベトナムでの戦争に反対したのと同様の熱烈さでイラク戦争に反対しただろうと結論づけるのは自然だろう。

〈リアリズム、民主主義、アメリカの外交政策

 RMAが中東諸国の迅速かつ容易な征服を助けた点については疑問の余地はない。ただこの目的にRMAが必要不可欠だったかは明白ではない。結局のところ、ソヴィエトが1979年にアフガニスタンを撃破するのにRMAは必要なかったし、イスラエルが1982年にレバノンを撃破するのにRMAは必要なかった。アメリカはRMAなしでもすぐにイラクを倒せたことはまず確実だ。実際、アメリカのような大国が途上国を征服するのは比較的容易である。

 本当の困難は、アメリカが侵略を終えイラクを支配してから、アメリカ人が占領者とみなされて反乱に直面してからはじまる。RMAは反乱との戦いには大して役に立たない。ブッシュ政権イラクで気づいたように、反乱に対抗するには大規模な地上軍を必要とするのだ。しかし、ひとたびアメリカがイラクのような国に大勢の兵士を送れば、米軍は事実上泥沼に陥り、そのためもはや自由に他の国を侵略することはできない。

 前文のような事態になると、バンドワゴンは問題にならなくなった。アメリカの他の敵国は米軍が空から急降下し、彼らを片づけると恐れる必要がないため、両手を挙げてブッシュ政権に降伏する理由がないのだ。一言でいえば、占領がナショナリズムを焚き付け、ナショナリズムが反乱を導き、反乱はバンドワゴンの論理が上手く働くという希望を掘り崩し、それが棍棒外交を危うくしたのだ。

 ナショナリズムへの無理解がネオコンサーヴァティヴの理想主義に伴う第一の問題なら、第二の問題は民主主義国家は美点は数あれど、常に良い外交政策を採るとはかぎらないというところにある。民主主義が最高の政治体制であることに私は疑問を抱いていないし、全世界に民主主義を拡大するのは立派な目標だと思う。ドイツが今日繁栄する民主主義国家となったことに私は喜んでいるし、イラクもこの先例にできるかぎり早く倣ってほしいと思う。にもかかわらず、外交政策に関しては、ブッシュ大統領と彼を支援するネオコンサーヴァティヴが言い立てるほど、民主主義国家は常に善玉だとはかぎらない。

 例を挙げよう。サダム・フセイン統治下のイラクは1980年代にイランとクルド人化学兵器を使用したのだからとりわけ邪悪だったのだとしばしば主張される。しかし当時のアメリカは、イラン軍に対してより効果的に化学兵器を使えるように、衛星画像をイラクに提供していた。イラク化学兵器使用について国連やアメリ連邦議会で非難を受けると、レーガンとブッシュ(父)政権はサダムの体制をこれら権威ある団体の批判から守るため相当の努力をはらった。

 アメリカはイラクで手を汚しただけではなく、自身も残酷な行動に関与している。追いつめられたときには、民主主義国家のアメリカがどれほど残忍になれるか過小評価すべきではない。第二次世界大戦のさい、アメリカの爆撃機はドイツと日本の都市を完全に破壊し、その過程で日本人の一般市民約100万人を殺害した。加えてアメリカは核兵器を他の国に対して使用した世界で唯一の国でもある。

 もちろん、ほとんどのアメリカ人はドイツと日本への爆撃や、日本人の一般市民に対する核兵器の使用について、間違ったところは何もないと考えている。われわれは善玉であり、犠牲者は悪玉だからだ。しかし、アメリカの銃口が向けられる側に立てば、物事はたいていそんなふうには見えない。銃口を見つめる側に立つなら、悪玉に見えるのはアメリカである。

 モーゲンソーがはっきりと理解していたように、国際政治において善玉と悪玉を区別するのはたいていの場合困難である。このため、アメリカの棍棒外交に対して強い抵抗が起こる公算は高い。世界の多くの人々はブッシュ政権を解放者ではなく暴漢とみなすだろうからだ。

 民主主義国家がこの世界で自らを善玉として描くことにはまた別の問題がある。非民主主義国家を粉砕し、世界を民主国家の一大領域に作り変えようとする十字軍の継続をそうした考えが助長するのだ。この傾向はベトナムへの介入が議論されていた1960年代の前半に明確に表れていた。驚くべきことではないが、モーゲンソーはベトナム戦争反対の論拠を述べるさい、世界的な十字軍を続ける危険について警告していた。同じ傾向は、ブッシュ政権が武力で中東を作り変えることへの論拠を展開した2003年の第二次湾岸戦争への準備期間で再び演じられた。モーゲンソーがこの政策と差し迫る戦争をはっきりと声高に批判しただろうことはほとんど確実である。

 民主国家を中東のようなその種の政府についてほとんど経験がない地域で作り出すというのは、気の遠くなるような仕事である。アメリカは国づくりに関して過去にたいした成功を収めておらず、国づくりを成功させる方法について説明する良い理論は存在しない。軍事力による民主主義拡大というのは、イラクで、いやこの件に関してはどの場所でも、民主国家を築く効果的な方法ではないとみなす理由は数多くある。

 驚くべきことではないが、ハンス・モーゲンソーは1950年代後期と60年代初期のベトナム民主化しようとしたアメリカの企てを熱烈に批判した。モーゲンソーはベトナム民主化することに反対していたのではない。彼はただベトナム民主化する準備ができておらず、民主主義を押しつけようとするアメリカの企ては、アメリカの意図がどうであれ最終的には失敗すると考えたのだ。

 リアリストは民主主義を嫌っている、それどころか反民主主義的であると、しばしば責められている。これはいんちきな非難である。私の知るリアリストの誰もが、イラクが繁栄する民主主義国家に変わるのを見れば、身震いするような興奮を感じるはずだ。だが、リアリストは民主主義拡大の困難を十分に承知している、軍事的手段をもってということなら、なおさらである。さらに、この民主化の企てが成功したとしても、平和がやってくる保証はないとリアリストは理解している。民主主義国家は非民主主義国家と同じく核の抑止力を欲しがるし、どちらの種類の国家も利益に適うとなればテロリズムを支援するのだ。

 結論をいえば、ネオコンサーヴァティヴとリアリストには2つの非常に異なった国際政治の理論があり、それがイラク侵攻と占領の賢明さについて対立する見方に反映している。実際、この戦争自体が2つの理論の揺るぎないテストだった。どちらの予測が正確だったかは現在目にすることができる。イラクアメリカにとって大失敗となったことは明らかだと思われる。これは──少なくとも私にとっては──リアリストが正しく、ネオコンサーヴァティヴが間違っていたことの有力な証明だ。

 イラク戦争の準備段階でリアリストが用いた議論と類似した議論を使い、40年ほど前、モーゲンソーはベトナムエスカレーションに反対する論拠を述べた。モーゲンソーが生きていたなら、同じようにイラク戦争に反対しただろうと私は思う。

ベトナム戦争


アメリカのベトナム戦争

 アメリカの「ベトナム戦争」(ベトナムでは「アメリカ戦争」と呼ばれる)は、ベトナムナショナリスト共産主義軍がフランス植民地軍をディエン・ビエン・フーで破り、その後のジュネーヴ会議で暫定的なベトナム南北分割に合意した1954年にはじまった。

 アメリカの軍事支援は、1955年にベトナム共和国南ベトナム)となるベトナムの南半分に対し、ドワイト・アイゼンハワーのもとで開始され、ジョン・ケネディのもとでも継続した。支援には広範な軍事訓練、兵器供与、容赦ない対ゲリラ作戦が含まれていた。紛争がエスカレートすると、アメリカは地上軍を投入し、すでに激しいものだった空爆キャンペーンを1965年、ベトナム民主共和国北ベトナム)に拡大した。

 1968年1月、南ベトナムナショナリスト共産主義部隊(ベトコン)は、首都サイゴンを含む都市部への大規模攻撃を開始。戦闘員と一般市民の死者数は急上昇した。リンドン・ジョンソンは大統領再選を目指さないと発表。11月、リチャード・ニクソンの選出後、北ベトナム、南への補給路(「ホーチミンルート」)、そして隣国カンボジア(「聖域」)に対する猛烈な爆撃はさらに激しさを増した。

 増加を続ける米軍の死者と米国内での戦争反対の拡大を受け、ニクソンと国家安全保障補佐官ヘンリー・キッシンジャーは段階的撤退戦略と安全保障の責任の南ベトナムへの移譲を考案した。この「ベトナム化」は1972年のニクソン再選とキッシンジャー国務長官任命後も続行され、1974年のウォーターゲート事件ニクソンの辞任とジェラルド・フォードの就任を経ても中断されなかった。

 あい続く軍事的敗北のあと、南ベトナムの軍と国家は1975年4月に崩壊し、アメリカ大使館が人員を脱出させた1日後、勝利した北ベトナム軍がサイゴン入りした。ベトナム戦争により、米軍兵士58000名が命を落とした。約300万のベトナム人兵士と市民が死んだ。人的、環境的、経済的、社会的損失は計測不可能であり、その損失の多くは今日まで跡を引いている。

デイヴィッド・ヘイズ

ハンス・モーゲンソー


ハンス・J・モーゲンソー

 ハンス・ジョアキム・モーゲンソー(1904-80)は20世紀中葉の国際関係論の分野における第一人者の学者であり、「政治的リアリズム」の主導的立役者だった。

 モーゲンソーはドイツのコブルグに1904年2月に生まれた。ミュンヘンとフランクフルトで学んだあと、ジュネーヴマドリードで法学を教えている。彼の初期の思想はフリードリヒ・ニーチェの影響を受けている。また、マックス・ウェーバー、ハンス・ケルゼン、カール・シュミット、ラインホルド・ニーバーの思想の特徴もうかがえる(クリストフ・フライ『ハンス・J・モーゲンソー 知的伝記』(2001)を参照)。

 モーゲンソーは1937年にアメリカに移住し、カンザス大学で教えたあと、1943年シカゴ大学に移った。シカゴでモーゲンソーは彼の決定的な著作『国家間の政治 ──パワーと平和を求める闘い』(1948)を執筆する。ジョージ・ケナンが安全保障の理念に与えたのと同じぐらい深い影響を、1945年以後のアメリカ外交の考えにもたらした著作である、

 モーゲンソーはシカゴ大学政治学部のマイケルソン特別教授に選ばれている。彼ののちの著作には『国益の擁護──アメリ外交政策の批判的研究』(1951)、『アメリカの新外交政策』(1969)などがある。

 1976年にモーゲンソーは最も影響を受けた10冊の本を挙げている。ハンナ・アレント『人間の条件』、E・H・カー『危機の20年』、『フェデラリスト・ペーパーズ』、プラトン『饗宴』、パスカル『パンセ』、C・N・コクラン『キリスト教と古典文化』、ラインホルド・ニーバー『キリスト教人間観 第一部 人間の本性』、『マックス・ウェーバー著作集』、『フリードリヒ・ニーチェ選集』である。

 モーゲンソーの「政治的リアリズムの6つの原則」(第五版、1978)は、国際環境における理性的な政治行動の条件を明らかにしようと試みている。モーゲンソーは「パワーの観点から限定づけられる国益の概念」によって「為された政治行動とそれらの行動の予見可能な帰結」を分析するために、「望ましいことと、可能なことのあいだに鮮明な区別」をする。

 モーゲンソーは「現実どおりの国際政治」と「そこから引き出された合理的理論の違い」を「写真と絵画の違い」になぞらえている。「写真は裸眼で見ることのできるものすべてを写しだす。絵画は裸眼で見ることのできるものすべてを写しだしはしないが、裸眼では見られない1つのものを写しだす、あるいは写しだそうとする。その1つのものとは、描かれた人物の人間的エッセンスである」

 モーゲンソーは思慮分別、「政治行為の代替案の結果を考量すること」を高く評価した。この考えに導かれて、モーゲンソーはアメリカのベトナム軍事関与に対して鋭い警告を発し、(警告が無効だったときには)激烈な反対を表明した(1965年のこのエッセイを参照)。

 ハンス・モーゲンソーは1980年7月に亡くなった。今日の批評家の何人かはモーゲンソーの“テロとの戦い”についての予測される態度を『国家間の政治』の思想──最終章にある「4つの根本的規則」「5つの妥協への必要条件」──から例示している

 対照的に、当時の国務長官だったコリン・パウエル2002年9月12日、次のような見解を披露した。「ハンス・モーゲンソーはわれわれのこの新しい世界においても、まったくの馴染みを感じただろう。彼はアメリカの外交政策の中心にある道徳性とパワーの不可欠なパートナーシップについて理解していたからだ」

 ハンス・モーゲンソーの“政治的リアリズム”を支えるパワーと国益の概念は、「政治的領域の自律性」を明らかにしようとするモーゲンソーの試みの道具だった。モーゲンソーは政治的行動の道徳的重要性について深く認識していた。「パワーを最大化すること以上に重要な価値はある。どのようにパワーを行使するか、いかなる原則に奉仕するかが問題なのだ。加えてパワーは一定の拘束に加え、一定の義務ももたらす」

デイヴィッド・ヘイズ

*1:訳注。democratic peace theoryのこと。ウィキペディアのエントリがなかなか詳しい。この理論は、本文にあるとおり、民主主義国家(正確にはリベラル・デモクラシー)はお互い同士でめったに戦争しないという経験的観察をもとにしている。これが国際関係論におけるリベラリズム再興の端緒となった。イラク戦争賛成のリベラル(リベラル・ホーク、あるいは人道的介入主義者)はこの理論の支持者が多い。