あ……

今年の10冊にアマドゥ・クルマ『アラーの神にもいわれはない』ISBN:4409130269てた。やっぱ読んだ本はブログに書かないと……。
この本は身寄りを亡くした少年ビライマが、グリグリマン(呪術師)のヤクバをお供に、内戦下のリベリアシエラレオネを子ども兵をしながら旅してきた過去を振り返って語ったもの。訳注と解説が非常に充実しており(100ページ以上)、リベリアシエラレオネ情勢と子ども兵について相応の知識が得られるようになっている。“正しい”フランス語に頓着せず、アフリカ化されたフランス語、「ちびニグロの」フランス語を駆使した破格の文体がすばらしい。
ちょっと例を挙げると──


 リベリアでは部族戦争をやっていて、ぼくみたいな通りの子が子ども兵になってるんだって。ぼくの『ハラップス辞典』によると、「子ども兵」はアメリカのピジン語で「スモール・ソルジャー」っていうんだぜ。リベリアのスモール・ソルジャーはなにからなにまで持っててね。まずカラシニコフを持ってるだろ。カラシニコフってのは、ロシア人が発明した銃で、弾をたてつづけにぶっぱなせてね。子ども兵はそのカラシニコフで、それこそなんでも手に入れちまうんだって。銭だって、米ドルだって手に入れるだろ。靴だって、肩章だって、ラジオだって、軍帽だって、自動車とか四駆とかいうやつだって手に入れちまうんだって。だからぼく、おもわずさけんじゃった。ワラエ[「アラーの御名にかけて」の意]! ワラエ! ああ、リベリアに行きてえなあ。早く早く行きてえなあ。子ども兵とかスモール・ソルジャーとか、そんなのになってみてえなあ。子ども兵だろうが兵隊っ子だろうが、似たようなもんだろ。もうぼくの口からは「スモール・ソルジャー」しか出てこなくなった。寝床にいようが、くそたれてようが、しょんべんたれてようが、もうそればっかりさけんでた。スモール・ソルジャー! 子ども兵! 兵隊っ子!

 さて、そんなある朝のこと。小川に向かう踏みわけ道のかたわらで、寄宿舎の女の子がひとり、犯されたあげくにぶっ殺されてるのがみつかった。ちっちゃな七歳の女の子が、犯されてぶっ殺されてるんだぜ。あんまりむごたらしいながめを目にしたもんだから、善人パパ大佐も涙をぼろぼろこぼしてた。(ぼくの『ラルース』によると「むごたらしい」は「おおきな苦痛をもたらす」。)でもね、涙をぼろぼろこぼしてるのは、よりによってあのウヤウヤ野郎の大佐だぜ。そんなやつが涙をこぼすざまを、ぜひお見せしたかったね。見にいっても損のないながめだったね。(『語彙特性目録』によると「ウヤウヤ」は「放蕩、浮浪者」。)

 シエラレオネなんてくそったれよ。ああそうさ。マジでくそったれの二乗だぜ。そこいくと、追いはぎどもがお国を山分けしているリベリアなんて、まだくそったれの一乗だね。悪党のほかにも、いろんな結社や民主主義のやつらまで一枚かんでくると、もうくそったれの一乗じゃすまなくなるからね。なにしろシエラレオネのたこ踊りときた日には、踊りの輪のなかに狩人結社のカマジョーがいるだろ。民主主義者のカバーがいるだろ。悪党だって、フォデイ・サンコーやジョニー・コロマのほかにも、ちんけな連中が何人かまじってるだろ。だからこういわれるんだ。シエラレオネの国じゅうにはびこってるのは、もうただのくそったれじゃすまされない。そいつはくそったれの二乗だってね。
著者や内容について詳しいことは、訳者の真島一郎氏が書かれている「くそいまいましい太陽がこの空にまた」「アマドゥ・クルマの追悼集会」を参照。