ウガンダの反政府勢力〈神の抵抗軍〉関連

神の抵抗軍〉関係でここ何日かで一気にいろいろな動きがあったが、どのニュースも日本では伝えられてないっぽいので、簡単にまとめておく。国際刑事裁判所の件は結構大きいニュースだと思うんだけどなあ。自分の探し方が悪いだけ?

神の抵抗軍〉(LRA - Lord's Resistance Army)

神の抵抗軍〉(LRA - Lord's Resistance Army)は1987年に結成された反政府武装組織で、主に北ウガンダで活動している。
アフリカに蟠踞する反政府組織と比したとき、〈神の抵抗軍〉のユニークな点は大きく2つある。1つ目は名前から察せられるように終末論的キリスト教グループに起源を持つ点。2つ目は子ども兵を大規模に使用している点である。
1986年、ウガンダ現大統領のヨウェリ・ムセヴェニ率いる国民抵抗運動/軍(NRM/A)が、アチョリ族のティト・オケロ大統領を打倒する。アチョリ族はウガンダ国軍の多数派という地位を失ったうえ、独裁時代の虐殺を理由にNRMの報復を受けるのではと恐れた。そのためアチョリ族の居住地の北部ウガンダ(アチョリランドと呼ばれる)では民衆蜂起が発生した。
この混乱と抵抗の時期にアリス・アウマ(ラクウェナ)という女が現れる。アウマはもともとカトリックの小物霊媒治療師に過ぎなかったが、ラクウェナという名の霊が神から使わされたと称し、〈聖霊運動〉(Holy Spirit Movement)を創設する。虐殺の罪を贖うため首都のカンパラを奪回し、地上の楽園を作り出すことがその目的だ。〈聖霊運動〉がかなりの成功を収めると、同様のミレニアニズム的教義を掲げる者たちが続々と現れた。LRAの指導者ジョゼフ・コニーもそうした連中の1人だった。
聖霊運動〉が崩壊し、主要反乱組織がNRM/Aと和平を結ぶと、アチョリランドに残った反政府組織はLRAのみとなった。LRAはアチョリランド内でゲリラ活動を開始する。
NRM/Aに対する敵意もあり、アチョリ族は最初LRAをある程度支持していたが、NRM/Aに協力した人々に対しLRAが虐殺・四肢切断を行った一件などを経て、LRAとの仲は冷え込んでいく。結果、1994年にはジョゼフ・コニーは「戦争の責任を自分に押しつけた」とアチョリ族を非難している。
1994年、拙劣な外交の結果和平交渉が頓挫すると、LRAはハルツームと手を結び、スーダン領内に基地を設営する。この時期から悪名高いLRAの活動が開始される。
LRAはアチョリ族に裏切られたと考え、ターゲットを本来守るべきだったはずの人々に向け変えた。毛沢東はゲリラ戦術の要諦を「人民は水であり、解放戦士はその中を泳ぐ魚である」としたが、物的支援をスーダンから受けたLRAに“水”は必要なかった。住民に対する四肢切断が横行し、子どもたちの大量誘拐が開始された。この誘拐は志願兵の不足を補うという実際上の目的のほかに、道徳的含意があった。アチョリ族の成人はもはや信用するに足らないため、アチョリランドから一掃し、教化された子どもとともに新しい社会を建設しようという理屈である。LRAは誘拐された子どもの共同体との絆を割くために、様々な残虐行為を強要した。帰る場所をなくす目的で両親兄弟を殺害させるのは一般的な方法だ。LRAの幹部は200人程度に過ぎないといわれ、全体の約85%が子ども兵だと推定されている。女子の場合はLRA部隊長の“妻”にさせられる場合もある。ジョゼフ・コニーは多妻婚を認めている。
1987年以来の18年に及ぶ内戦で、20000人以上の子どもが誘拐されたと推計されている。住民12000人が直接の暴力が原因で死に、さらに多数が病気や栄養失調などで倒れた。200万人近くが国内難民としての暮らしを余儀なくされている。4万人もの子どもたちがLRAの誘拐から逃れるため、毎夕比較的安全な町まで集団で避難する。この子どもたちは"Night Commuters"と呼ばれている(フォト・エッセイ)。
(この項目は異様に詳しいwikipedia"Lord's Resistance Army"を粗雑にまとめただけなので、詳細はそちらを参照のこと。)

最近の動き

9月末から10月にかけて3つ大きな動きがあった。

9月下旬にLRAの部隊が2つ、スーダン国境からコンゴ民主共和国(DRC)入りした。部隊の1つはLRAの副官ヴィンセント・オティが率いており、政治亡命を要求している。ウガンダコンゴ政府の回答を待っているとこのときは発表した。DRCはLRAに9月末までに国外に退去するよう命じたが、この命令は実行されなかった。
今月に入って、ウガンダはDRCに部隊を派遣すると脅しをかけはじめ、DRC政府はウガンダが一帯の平和と安全保障を脅かしていると非難、国連に制裁を要求した。ウガンダは先頃勃発したコンゴ内戦の参加国の1つである。
このため、国連PKO部隊(MONUC)はLRAに対処させるためにDRC軍300名をヘリで国境付近に空輸、さらに陸路で200名が向かっている。ウガンダも数百名をウガンダ国境に動かした。
──と書いたがGoogle Newsで検索すると、LRAはDRC軍を前にして再びスーダン領内に戻ったとのニュースがあった(Reuters)。ひとまず危機は過ぎ去ったようだ。ただムセヴェニ大統領ががたがた言っているというような情報もあり、注意が必要。

  • ウガンダの攻撃でLRAの部隊長の1人ドミニク・オングウェン(Dominic Ongwen)が死亡

9月30日のウガンダの攻勢で、LRA第一旅団の旅団長ドミニク・オングウェンの死亡が確認された。オングウェンはLRAの最高幹部の1人で、国際刑事裁判所によって逮捕請求が出された5人のうちに含まれている(Reuters)。

2003年に新設された国際刑事裁判所(ICC)が10月7日、初の逮捕請求を行った。ICCは世界初となる常設の国際裁判所で、ジェノサイド・戦争犯罪・人類に対する犯罪について責任のある個人を訴追・処罰するのが目的。
対象となったのはLRAの最高幹部5人。指導者のジョゼフ・コニー、副官ヴィンセント・オティ、部隊長ドミニク・オングウェン、ラスカ・ルクウィヤ(Raska Lukwiya)、オコト・オディアンボ(Okot Odiambo)である。オングウェンは戦死したので実質4人だ。
 この決定を受けて、ウガンダ政府はLRAが潜伏していると考えられているスーダンに対し、被疑者の拘束を要求した。スーダンは発見しだい拘束し引き渡すと返答しているが、実際何を考えているのかは不明。ダルフールのジェノサイドに関し、ICCは国連安保理から付託され調査中なので、スーダンICCに協力的だとはあまり考えられない。
一応書いておくと、日本(とアメリカ)はICC(ローマ規程)に署名していない。