シオドア・スタージョン『海を失った男』

むーん、読んだけどなんか微妙だ。こんなこと言うと自分の文学的鈍感さを白状するようだけど、『不思議のひと触れ』のほうが満足感があったかも。
もちろん「海を失った男」、「ビアンカの手」、「墓読み」は傑作(特に前2つ)で、「海を失った男」に至ってはそのまま2回読み返した(というか読み返さないとわからん)。さらに「シジジイじゃない」は自伝的要素が詰め込まれ、テーマ自体もスタージョンを語る上で欠かすことのできない作品だし、この4つだけでも十分元が取れる。「成熟」はちょっと保留。個人的には結論は陳腐に感じたが、なんかよくわかってない感もある。しかし本書の分量の半分弱を占める中編2作「三の法則」、「そして私のおそれはつのる」がどうもよろしくないっていうか。いや、いつもながらはさみこまれるエピソードや描写は最高なんだが・・・。
まず「三の法則」のほうだけど、若島正氏も解説で書いてるように、SF的設定は必要ない。というよりも、むしろこの設定のせいで話全体が台無しになってると思う(特に精神病の原因うんぬんのくだり)。「そして私のおそれはつのる」も似たような不満になるけど、まず登場人物の一人が語る<善>やら<陰陽>やらの長広舌で先行きが不安になるし、題名が採られたイェイツからの引用と超自然的パワーの説明の話がうまく噛み合ってないように感じた。なんか50年代以前のSFを読んだとき感じる類いの違和感を2作には感じた。対して『不思議のひと触れ』収録作のほうには、そういう時代の差を意識させる作品があまりなかった。
あと、『人間以上』、『夢見る宝石』もいまいち読み進められないな。話に入ってけない。10ページぐらいで止まっちゃう。

ところでこのあいだ買った"The Complete Stories of Theodore Sturgeon vol.2"にはスタージョン23歳のときの写真が載ってた。家族の集合写真でアップじゃないからはっきりとはわからないけど、なんだろう、アイルランドの夢見る木こりみたいな顔だ。もっとマッチョっぽい顔を想像していたよ。その顔は"Puckish"、"pixie-ish"と評されたこともあったとディレイニーが書いてた。