”Bug Jack Barron” マイケル・ムアコックによるあとがき(抄訳)

1967年8月、ペンシルヴァニア州ミルフォード、デーモン・ナイトのゴシック風邸宅(『サイコ』の舞台と瓜二つ)。私は作家会議に出席中。私が出席した最初で最後の創作ワークショップで、〈ニュー・ワールズ〉誌と、その後〈ニュー・ウェーブ〉と称されるもの(そう、自称したわけではないのだ)の代表としてである。ペーパーバック編集者のナイトは、バラードのオリジナル作品をそれまでにいくつか出版していた。私やディッシュ、そのほか当時の野心的な作家の作品もだ。ナイトはその頃にもまた〈オービット〉のアンソロジー・シリーズで同様の作家の多くを取りあげつつあった。アメリカで誰よりも力強く私たちの宣伝に努めるのは、アンソロジスト兼批評家のジュディス・メリル。とりわけバラードの熱烈な擁護者だ。
〈ニュー・ワールズ〉誌はすでに優れたアメリカ人作家の掲載を始めていた。例えばトーマス・M・ディッシュ、ジョン・スラデック、パメラ・ゾリーン、ロジャー・ゼラズニィジェイムズ・サリス、キット・リード。イギリスの作家もだ。ブライアン・オールディスバリントン・ベイリー、D・M・トマス、ジョージ・マクベス、J・G・バラード、ラングトン・ジョーンズ。それからすぐ後に登場するのが、M・ジョン・ハリスンの初作品、ジーン・ウルフその他。様々な才能が融けあい、1つになる。私たちの長年にわたる努力が初めて実際に花開く。みな激しい興奮のさなかにあった。ジム・サリス、チップ・ディレーニイハーラン・エリスンジュディス・メリル、トム・ディッシュら、舌がハイになった連中との毎夜の話し合い。スピードを買う金は浮くが、思慮分別が向上をみせるとは必ずしもいえない。誰もが日に日に常軌を逸していく。スピンラッドとエリスンは地元のダイナーで喧嘩をおこす。エリスンは全力で戦うも、スピンラッドをののしりつつ帰ってくる。「オレが図体のでかいトラック野郎にブッ倒れるまでぶん殴られたっていうのに、黙って見てやがって!」 スピンラッドは筋の通った指摘はこうだ。「そもそも喧嘩を始めたのは君だ。それに、殺されそうになったら助けを呼ぼうと身構えてたさ」 そう、結局例の殴り合いのときだって、エリスンは1人できっちり切り抜けている。パシフィック・ダイニング・カーの駐車場でのフランク・シナトラとのよく知られた1件のことだ。
エリスンもまた黄金時代を迎えている。波に乗り、主張に沸立ち、「“悔い改めよ、ハーレクイン!”とチクタクマンはいった」のような雄弁な成功作を書きあげていた。同じく身長に困難を抱えたスピンラッドとは自然と仲間付き合いをしていたが、その2人の口から止めどなくあふれるのは、ワーナーのギャング映画以外では誰も耳にしたくもない、そんなたぐいの言葉ばかり。黙らせることができない。キャグニーとトレイシー。いつも面倒を起こしている。(「エリオット・グールド主演の『ロング・グッドバイ』に出てきた威勢のいい悪党、あれは友だちのハーランがモデルだろう?」あるとき私が聞くと、リー・ブラケットは笑って答えた。「そうだとしてもおかしくないわね」) 威厳があるが、人当たりはいいディッシュは『キャンプ・コンセントレーション』を完結。それまでの最高の連載で、どうしたらこれに匹敵しうるものか、私はしきりに考えているところだ。〈ジェリー・コーネリアス〉シリーズは〈ニュー・ワールズ〉に2年前から連載中。バラードは1年前から「暗殺凶器」を皮切りに〈濃縮小説〉の発表を開始。〈ニュー・ワールズ〉のパーティーにはウィリアム・バロウズと、アーサー・C・クラークが来場。2人ともオレンジジュースを飲み、ドラッグは丁重に断り、どちらも会場内の刺激的な新しいロックにいい顔をしていない。実のある話をしても聞き取ることが難しかったためだ。新しいSF作家、ビートとパルプ文学、詩、音楽、フランス映画、ポップアート・ペインティングの今までにない交流がロンドンで起こり、ある種の荒削りだが時代に即した運動として認知されはじめていた──共通の経験の“声”として。
スピンラッドは新しい小説の一部をミルフォードに持ってきていた。それまでのスピンラッドは何よりパルプ・ハードボイルドSFケイパー、"The Men in the Jungle"で名を知られており、前途を有望視されていた。だが新しい小説は、今まで読んだ彼の作品の何光年も先を行っている様子。題は『バグ・ジャック・バロン』、テーマは大衆へのメディア操作と近未来の政治。私好みの主題だ。加えて野心的な文体で書かれ、バロウズが示した表現の可能性から着想を授かっている。バロウズはパルプ小説のジャックハンマー的破壊力を吸収し、洗練された文学手法に作り替えていたのだ。
その間に主流作家が相変わらず再現に努めていたのは、キングスリー・エイミスの入念かつ控えめな文章、ダレルの『アレクサンドリア四重奏』におけるフランス風の回顧的調子、お行儀のよい正統アメリカ小説の退屈な権威とお馴染みのリズム。さもなくば完全に後ろ向きになり、パスティーシュに走る。一方〈ニュー・ワールズ〉の作家たちはそれら全てを脇に蹴り出し、様々な方法を発見し発達させてきている。一仕事成し遂げるために。お決まりのレパートリーを繰り返すのではなく。
以上が67年夏の状況だった。

(原文はここにあります。上は全体の3分の1ぐらいの訳です。)