イタリア-クロアチアの歴史論争

イタリアとクロアチアのあいだで歴史解釈をめぐって論争が起こっている。
2月10日、第二次世界大戦ユーゴスラビアで殺害されたイタリア人を記念する式典で、イタリア大統領ジョルジョ・ナポリターノが次のような演説をした。
「大波のような憎しみと流血を求める怒り、そしてスラヴの拡大計画が[...]民族浄化という邪悪なかたちで表出した」「フォイベの非人間的残虐行為は前世紀の蛮行の1つである」「われわれは沈黙していてはならない。イデオロギー的偏見と政治的盲目が原因で、真実を否定し、あるいは無視しようと努めてきた責任をとらねばならない」──記事から引き出せる演説の内容は以上のようなものだった。加えてナポリターノはユーゴスラビアによって処刑されたダルマチアのイタリア人ファシスト知事にメダルを授与した。
これに対し12日、クロアチアの大統領スティペ・メシッチは「あからさまな人種差別、歴史修正主義、政治的報復政策*1」であるとして、激しくイタリアに抗議した。
13日、イタリアの首相と外相が論戦に加わった。イタリア首相ロマーノ・プローディはメシッチの「まったく正当化できない」発言に不快感を露わにした。外相は外務省次官のクロアチア訪問を延期し、イタリア駐在クロアチア大使を呼びだして説明を求めた。
イタリアはクロアチアEU加入問題をちらつかせるなどして、問題をさらに込み入ったものにしている。さらに欧州委員会のスポークスウーマンはクロアチア大統領の発言は「不適切」だったと発言する。ナポリターノの発言には言及しなかった。
この論争を理解するには「第二次世界大戦ユーゴスラビアで殺害されたイタリア人を記念する式典」「フォイベ」とは何なのかを知る必要がある。

大戦後の住民移送

第二次大戦の最中、さらには終結後、中央ヨーロッパで大規模な人口的再配置が実行された。中央ヨーロッパで枢軸側についたマイノリティや政治党派は、枢軸側の驚異的な軍事的伸長の恩恵を被った。だがその特権的地位はごく短い間しか続かず、彼らは報復を求めるパルチザンレジスタンス、赤軍に直面することになる。
ドイツ人は歴史的理由から中央ヨーロッパ各国でマイノリティを形成していた(チェコズデーテン地方が有名)。第三帝国はそうした地域の併合、移住、支配政策を暴力的に遂行した。ナチス・ドイツの敗戦が近づくにつれ、各地のドイツ人コミュニティへの抵抗は強まり、赤軍の到来とともに流れは最終的に逆転し、中央ヨーロッパからドイツ人は追放される。元々の住民とファシズム期に移住してきた住民は区別されなかった。連合国による戦後処理もその種の解決を後押しした(ポツダム宣言を参照)。例えばズデーテン地方からは300万人のドイツ人が追放され、その過程で約30万人が死んだ。ポーランドハンガリールーマニアからも放逐され、合計で1300万人のドイツ人が中央ヨーロッパ東ドイツを含む)から追放されたと言われている*2
イタリアも同様の道をたどった。第一次世界大戦後、オーストリア=ハンガリー帝国の崩壊によって、イタリアはイストリア半島ダルマチアの一部を獲得した。イタリア人移住の奨励、スラヴ民族の同化、ナショナリストの弾圧、強制収容所の設立などの“イタリア化”政策は、ムッソリーニの権力掌握後激化した。
1943年、イタリアのファシスト政権が崩壊すると、ここでもやはり流れは逆転した。チトー率いる共産主義パルチザンが激しい抵抗を開始し、イタリア軍、ドイツ軍、ファシストに加担したクロアチアナショナリスト組織と戦闘を繰り広げた。この間イタリア人に対して行われた個人的復讐、ファシスト支配に対する報復、そして“ポリティカル・クレンジング”(イタリア人高官やコミュニティのリーダー、ナショナリストなど共産党の権力奪取の障害になりそうな対象を殺害する)など、様々な理由で行われた殺害を集合的に「フォイベの虐殺」と呼んでいる。
フォイベとはカルスト地形の穴を指すイタリア語で、ここに虐殺の犠牲者が投げ込まれたことからこのように呼ばれる。犠牲者数には諸説あるが、こうした虐殺によって5000人前後が殺されたという。激化する暴力をおそれ、25万人のイタリア人がイストリア半島から逃げ去った。こうしてイストリア半島ユーゴスラビアに併合され、ユーゴ崩壊後はクロアチアスロヴェニアの領土となっている。ナポリターノが演説した記念式典とは、この虐殺の犠牲者と追放された人々のために行われたものである。
今なら“民族浄化”と呼ばれうる途方もない規模の強制移住を経て、戦後ヨーロッパ諸国は相当度単一民族化させられた。主に2人の独裁者の手によって「新しい、ずっと整頓されたヨーロッパ」(トニー・ジャット)が生まれたのだ。

破られたタブー

ヨーロッパの戦後体制において、枢軸側の“苦しみ”を口にするのは数十年にわたり一種の政治的タブーだった。が、80年代以降、このタブーは徐々に崩れはじめる。ドイツでも連合軍の爆撃、赤軍の暴力、追放の悲劇について語ることが許されはじめた。
イタリアはドイツとは別の意味で政治的に複雑である。イタリア共産党レジスタンスの中核を担い、戦後イタリアでも重要政党の一角を占め続けた(もっとも、イタリア共産党はかなり早い段階にソヴィエトの影響圏から脱し、ほとんど社会民主主義政党化してはいたが)。反ファシズムの理念を中心に合同した左右のイタリア諸政党にとって“フォイベ”は当惑の種でしかなかった。また、多かれ少なかれ海外植民者はファシストとの関係を疑われていたので、追放された人間もその話をしたがらなかった。それに、ソヴィエトと袂を分かったユーゴスラビアソ連に対する緩衝としておくために友好関係を維持していくことは、イタリアにとって重要だった。
だが、80年代から反ファシズムの統一理念に陰りが出始める。冷戦の継続、国内の極左勢力のテロ、また共産主義諸国の犯罪の事実が広く受け入れられるに従い、反ファシズム体制にイタリア共産党が参加していることに疑いの目が向けられはじめたのだ。反ファシズムから反全体主義へ対立軸が変更されるのに伴い、イタリア共産党を他政党が激しく攻撃し、その正当性は激しく毀損された。
90年代にはイタリア政界に一大変動が発生し、イタリア解放時に存在した諸政党が没落し、多数の新政党が勃興した。ベルルスコーニの〈フォルツァ・イタリア〉もこの時期に出現した。こうした新政党に反ファシズムレジスタンスの伝統はなかった。〈フォルツァ・イタリア〉を含む右派連合の〈国民同盟〉は反ファシズムを基礎としたイタリア戦後体制に疑問符を突き付けはじめた。
こうした政治情勢の変化を受けて、フォイベの虐殺の件も政治問題として前面に出てきた。その終着点として、2004年、ベルルスコーニ内閣において2月10日を被追放者とフォイベの記念日とする法案が成立したのである。

感想

ニュースを簡単に見たかぎり、クロアチア側の怒りはもっともであると思う。ナポリターノの発言は英語では全体を読むことはできなかったので判断を下しづらいにせよ。ファシスト弁護なのか、それとも左派の過剰補償(ナポリターノは[元?]共産党員だという)なのかわからない。
だが、記事に訳されている部分だけでなぜメシッチが激怒したか十分に理解できる。スラヴという民族的区分と残虐性・野蛮性を結びつける表現は、それこそファシストそのままであるし、イタリアの苦しみ、イタリアの犠牲のみの強調するやり方はメシッチの言う「歴史修正主義」に導きかねない。ドイツの苦しみを強調した上で、いつのまにかすべて共産主義側の責任だったということになり、ナチス共産主義の“アジア的”暴虐に防衛的反応をしただけなのだ……こんな理屈もかつて大っぴらに語られた。クロアチア側は虐殺がなかったと否定しているわけではない。歴史的コンテキストを踏まえてほしいと言っているのだ。
またEUとイタリアの恩着せ顔の横柄な態度も腹立たしい。EU加入をめぐる恩着せがましさはトルコの場合にも見うけられた。欧州委員会の態度はまったく感心できない。
ただ、ちょっと疑問に思ったのはWikipediaの以下の記述だ。


On February 18, 1983 Yugoslavia and Italy signed a treaty in Rome where Yugoslavia agreed to pay US$110 million for the compensation of the exiles' property which was confiscated after the war. Up to its breakup in 1991, Yugoslavia had paid US$18 million. Slovenia and Croatia, two Yugoslav successors, agreed to share the remainder of this debt. Slovenia assumed 62% and Croatia the remaining 38%. Italy did not want to reveal the bank account number so in 1994 Slovenia opened a fiduciary account at Dresdner Bank in Luxembourg, informed Italy about it and started paying its US$55,976,930 share. The last payment was due in January 2002. Until today, the solution of the matter between Croatia and Italy has been delayed.
つまり、スロベニアクロアチアユーゴスラビア存続時に取り決められたイタリアへの補償の引継に同意した。スロベニアは順調に支払ったが、クロアチアとイタリアのあいだの解決は遅れているというのだ。また、イタリア-スロベニア間では歴史家により当時の合同調査が行われ、レポートも提出されているが(参照)、クロアチア-イタリア間ではこうした調査は行われていない。
ともかく、クロアチア側は今回の論争を機に、合同調査を行おうと呼びかけている。

*1:英語の翻訳ではrevanchismとなっており、これは失地奪還のための報復政策というニュアンスがあるが、メシッチの元々の発言にそういうニュアンスがあるかどうかはわからない。

*2:Tony Judt "Postwar"より。