リンダ・メルヴァーン「歴史だって? この映画はフィクションだ」

The Observerに掲載されたルワンダ・ジェノサイドの映画"Shooting Dogs"に対する批判記事。執筆者のリンダ・メルヴァーンはイギリスの調査ジャーナリスト。ルワンダのジェノサイドについての著書が2冊ある。"People Betrayed"ISBN:185649831Xェノサイドと国際社会の対応、"Conspiracy to Murder: The Rwandan Genocide"ISBN:1844675424の計画について詳述したもの。


 1994年、恐怖の数ヶ月間のうちに、組織化されたシステマチックな虐殺によって最大100万の人々がルワンダで殺害された。ナチによる絶滅計画以来、ついぞみられなかったスケールの殺戮である。中心となる目的が一集団の絶滅であったため、ホロコーストとの比較をせずに済ますことはできない。ツチ全員がターゲットとされた。国連安保理が責任ある行動をとることに失敗した事実は、20世紀の大きなスキャンダルの1つである。

 この失敗はBBCを含む西欧メディアにまで及んでいる。メディアの不十分なレポートが無関心と無行動に寄与したのだ。BBCニュースにとって栄光の時期ではなかった。

 にもかかわらず、勇気ある英国人司祭役にジョン・ハートを配したBBC出資のジェノサイドについての映画"Shooting Dogs"は、来週公開予定である。「現実の忠実な再現」と宣伝された映画は、民兵インテラハムウェをルワンダ人エキストラが演じ*1、ロケーション撮影された。映画は、殺戮の最初の数日に起こった「実話」と「実際の出来事」に基づいているという。ストーリーの中心となるのは公立技術学校(ETO)における虐殺で、ここに駐留していたベルギーの平和維持部隊は、ベルギー政府の命令を受け、全居留外国人の慌ただしい退去に手を貸すため、数千人を見捨てた。

 あるBBCのジャーナリストはこの学校におり、去ろうとする平和維持部隊に異議を唱え、起こっている事態を描くのにジェノサイドという語を使っている[、というシーンが映画にある]。

 だが、これはフィクションである。ETOにBBCの撮影班はいなかった。決定的に重要なジェノサイド最初の数週間、ルワンダBBCの撮影班はいなかった。*2BBCニュースはジェノサイドが進行中であると世界に伝えてもいない。1994年4月、虐殺が起こると、BBCは居留外国人の退去と「部族分派」間の内戦再開をレポートした。"Shooting Dogs"は歴史的記録のショッキングな無視を露わにしている。BBCによってジェノサイドという語が使われるのは4月29日が初めてだった。新聞も大差なかった。のちに行われたルワンダのジェノサイドについての最初の国際的調査は、西欧メディアがルワンダでジェノサイドが進行していると描写できなかったことが、ジェノサイドという犯罪に寄与したと結論している。この恐ろしい出来事に注意を喚起する役割は、NGO──とりわけOxfamやアムネスティ・インターナショナル──に任された。

 学校の場面がBBCのジャーナリストをヒーローとして描き、平和維持部隊を残酷で冷淡な者たちと描く一方、志願者で構成される平和維持部隊が人々の命を守ることでのちに示した勇敢さについて、映画は触れるのを怠っている。*3

 さらに、ルワンダでの「国連」の失敗を非難しつつ、"Shooting Dogs"は弾薬と武器に山と囲まれた国連平和維持部隊を写している。この正反対が事実だった。平和維持部隊の指揮官であるロメオ・ダレール少将が国連本部に伝えているように、「本任務の不可欠な要求に対し、効果的に反応できなかった点は、そもそもの最初からスキャンダルというほかなく、無責任といっても過言ではない...このことが非常に多数のルワンダ人の生命の喪失、さらに我々の部隊の損耗につながったのである」

 もっと多くの公衆が事態に気づいていれば、ルワンダを救うなんらかの試みがなされたはずだとダレールは現在でも考えている。不十分な報道により、ただ大規模な介入のみが成功を収めるという議論は強化された。ジェノサイドを封じ込めるには訓練された機動部隊が5000名増員されれば十分だとダレールは推計したが、この推計は報道されなかった。

 "Shooting Dogs"が基づいているETOでの虐殺の描写も誤解を招きかねない。学校に避難していた人々を殺害したのは、怒号し猛り狂うマチェーテを手にした若者の暴徒ではなかった。事態ははるかに恐るべきものだった。ベルギー人部隊が撤退すると、2000人が死の行進の途へとつかされた。この作戦はルワンダ軍の上級将校たち、ヨーロッパの軍事学校で訓練を受けた兵士たちが指揮していた。その中にはジェノサイドの首謀者が含まれ、彼らは3年間にわたって殺戮を構想してきた。この陰謀にはルワンダの政治、軍、行政のリーダーたちが関与していた。彼らの目的は「純粋なフツ国家」を建設することだった。

 ETOの虐殺の犠牲者は、大統領親衛隊によって砂利採取場で殺害された。この大統領親衛隊が出口を封鎖し、弾薬の節約のため民兵を呼び入れてマチェーテを使わせた。こうした連携はごく頻繁に行われ、軍と民兵による死の共同作戦が殺戮を加速させた。ルワンダの約100万人の犠牲者の過半数は、最初の5週間で殺されている。

 ETOの虐殺の数少ない生き残りの1人であるヴェヌスト・カラシラは、殺されるということはみな分かっていたと語っている。彼は私に話してくれた。「[この悲劇]について全世界が考えてほしい。来るべき世紀に、このような悲劇を止められる十分な戦略を数世紀先まで国際社会が取れるように」。

 "Shooting Dogs"はルワンダのジェノサイドを題材にした4つ目の長編映画である。映画製作者の真摯で熱烈な思いは疑いないし、彼らによってジェノサイドの残酷な真実に鋭い認識がもたらされるだろうこともまた確かである。しかし、だからこそ、彼らには正しいことを述べる重い責任があるのだ。

 去年、ハーグで『ホテル・ルワンダ』の特別観賞が行われた。観衆の中にポーランド人将校のステファン・ステク大佐がいた。ロメオ・ダレール少将率いる平和維持軍参加者の1人である。平和維持部隊を無力なものととして描いた『ホテル・ルワンダ』の観賞後、パネル・ディスカッションがあり、ステクはルワンダ人を命を救うために十分な行動をしなかったとして公然と非難された。

 だが5月、ホテル・ミル・コリンに捕らわれた人々の一部を退去させようとしたさい、手榴弾を手に民兵に立ち向かったのは、ステクだった。込み合うロビーで退去の対象となる人々の名前を読みあげたのは、ステクだった。退去者はベルギー入りするのに必要なヴィザを持っている者に限られてはいたにせよ。この脚光を浴びることになったホテルで、人々を守っていたのはたった4人のチュニジア人平和維持部隊だった。5月の終わりの時点で、ルワンダ全土にこうした場所が91ヶ所あった。平和維持部隊は数が足りず、そのうちの4つしか守れなかった。

 外傷後ストレス障害PTSD)は謎の多い病気だ。『ホテル・ルワンダ』を観たあと、ステクは病に倒れた。スレブレニツァに駐留していたオランダ人部隊の兵士を治療した精神科医たちの助力もむなしく、彼は食事を摂らなくなった。ステクは去年末ごろに亡くなった。人々がルワンダの真実を知ることはなく、西欧の政治家と外交官たちが彼らの決定の責任を永遠に逃れ続けるのではないかと、ステクは恐れていた。3ヶ月間にわたり、政治家と外交官は危機を軽く見せようとし、ルワンダに対しできることは何もないと論じた。そのあいだにも、ステクと同僚は彼らにできるあらゆることを行っていたのだ。

 ジェノサイドを予知するにあたっての国際的な失敗──計画の証拠は大量にあった──と予防の失敗、さらにその進行を止めることの失敗は、正確な記録に値する。もっとも無害な状況にしかふさわしくない不十分な平和維持部隊を創設したこと、さらに彼らを敵意のいやます環境に置き去りにしたことは、ひどい過ちである。こうした点を余すところなく記録すべきである。そうする代わりに、BBCはジェノサイドの作り事の報告に資金を費やした。この恐ろしい犯罪について、我々の知識を増すところのまったくない映画に。

*1:この問題については"Anger at BBC genocide film"を参照。

*2:マーク・ドイルはどうなんだっけか。film crewとcorrespondentの違いか。ジェノサイド末期にルワンダ入りしたファーガル・キーン一行がfilm crewということでいいのか。保留。参照:http://www.pbs.org/wgbh/pages/frontline/shows/ghosts/interviews/doyle.html

*3:約500名の部隊が25000名を救ったといわれている。