ライム喰らいたちの策謀

『現代アラブの社会思想』でいわれていたアラブの陰謀史観の一例に、George Packer"Assassins' Gate"で出くわしてびっくりしたので紹介。この陰謀論のもともとの出所はトルコのスンニ派ムスリムとされている。どの程度知られたものかわからないが、Packerはサドル師の側近の演説(と別にもう一ヶ所)でこの陰謀論に遭遇しているため、一般民衆に理解しうるだけのポピュラリティのある言説であると考えていいだろう。
以下の記述は主にDaniel Pipesの"The Hidden Hand: Middle East Fears of Conspiracy"*1抜粋から。

英国人スパイの告白

『中東のイギリス人スパイ、ヘムファー氏の告白』(参照)はいわば『シオンの賢者の議定書』の英国人版といえる。つまりアラブの不幸の根源はイギリス人帝国主義者の策謀にあるという説だ。ヘムファーは18世紀に生きたとされる大英帝国のスパイで、ムスリムに成りすましてオスマン帝国を弱体化させる指令を受けていた。不和の種を撒くことで、ムスリムの和合を壊し、お互いの同情心を損なえば、やすやすとムスリム世界を粉砕できる。こうして英国の優越は保証され、英国臣民は安逸と奢侈の生活を続けられるという寸法だ。
ヘムファーはまずムハンマド・イブン・アブドゥル・ワッハーブという若者に接触した。親密な友情を結ぶと、伝統的イスラムと大きく食い違うコーランの再解釈を2人で始める。ヘムファーはさらにロンドンから派遣されたキリスト教徒の女スパイにワッハーブを誘惑させ、完全なコントロール下に置く。最終的にワッハーブは、ヘムファーが望んだとおりの新宗派ワッハーブ派を開く。こうしてイスラムに内部対立の種が撒かれた。
次にヘムファーはシーア派のあいだに不和を起こそうとする。イラクシーア派オスマン帝国のスルタンの下、寛大で情け深い統治を受けていたが、ヘムファーはなんとかシーア派の分派をスルタンに歯向かわせることに成功。シーア派の者たちが無知で不道徳であるとヘムファーはすぐに見抜き、計画は容易に成功すると思われた。しかし、同時にシーア派は「深い眠り」についており、イスタンブール当局に対して反乱を起こそうともしなかった。
任務に失敗したヘムファーはロンドンに呼び戻される。そこで『イスラム破壊の方法』という本を読み、さらに自分が同様の任務を帯びた5000人のエージェントの1人にすぎないと知ることになる。
 以上の知識を得て、ヘムファーは任地へ舞い戻った。ワッハーブと再び接触すると、彼の奴隷に身をやつし、オスマン帝国への反乱を使嗾する。こうしてアラビア半島の大半は原理主義ワッハーブ派の手に落ち、イスラムの力は弱められた。

*1:Daniel Pipesは親イスラエルの中東研究者。対アラブ強硬論者として悪名高い。父のRichardは有名なソ連学者。この本は池内恵『現代アラブの社会思想』でも参考文献にあげられていた中東の陰謀論を主題とした先駆的著作(なのか?)。