エチオピア-エリトリア紛争再開か

エチオピアエリトリアのあいだで緊張が高まっているとのニュース。

簡単な背景

エリトリアは19世紀後半にイタリアの植民地となり、第二次大戦中〜後まではイギリスの支配下におかれた。1952年、エリトリアは国連決議によりエチオピアと連邦を結成したが、62年にはエチオピアの一州として併合されてしまう。以来、エリトリアでは反政府勢力が独立を目指して活動を続けていた。
冷戦終結後の政権崩壊を経て発足したエチオピア新政府は、国連監視下でエリトリア住民投票を実施し、住民はエリトリア独立賛成に圧倒的多数を投じた。この結果、エリトリアは93年にエチオピアから独立する。このときはエチオピアエリトリアの関係は良好だったと伝えられる。
しかし独立後のエリトリアジブチ、イエメン、スーダンと領土紛争を起こすなどし、周辺国との関係は険悪化した。
98年に独立後最初の選挙が行われるはずだったが、同年にエチオピアとの国境紛争が開始されたため選挙は無期延期。現大統領アフェウェルキが独裁体制を強化しているとの声も広く聞かれる。
エチオピア-エリトリア間の国境紛争は、OAUの仲介で2000年12月に和平協定が結ばれる。これを受け、国連エチオピアエリトリア派遣団(UNMEE)が展開、国境問題の裁定は国際司法裁判所に委ねられる。2003年、紛争の焦点だった国境のバドメ地区(地図を参照)はエリトリアに属すると裁判所は裁定したが、エチオピアは認めず、軍駐留を継続。事態は紛糾していた。

最近の動き

先月に入り、エリトリアは国連安保理が状況を放置していると非難し、国連治安部隊の領空通過を禁止、国連の監視活動を妨害する。戦車・対空ミサイルなどとともに、軍隊を国境沿いの緩衝地帯に移動させているとの報告も出ている。エチオピアも対抗して機甲部隊のほぼ半数を国境に動かしているとBBCは伝えている*1

この状況に加え、エチオピアの首都アディスアベバでは政府と野党との間で暴力的衝突が発生している。
エチオピアでは5月に総選挙が行われ、与党・エチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)が議席過半数を獲得した。これに対し、野党側は不正選挙があったと抗議し、デモを組織。6月には治安部隊がデモ隊に発砲し、犠牲者が出ていた。
さらに野党側は先月開会した議会にボイコットで応じ、再度デモを組織。このデモに治安部隊がまたもや発砲、野党指導者の一斉逮捕に及び、首都全域で衝突が続いている。犠牲者は少なくとも40人、エチオピア第2の都市バハルダールにまで暴動が拡大しているとの報道もある。エチオピアの国営放送が暴動の終結を宣言するなど、情報が錯綜ぎみ。