『エンベディング』読み中だが

完全な埋め込み言語(というのもよくわからんが)によってなぜ認識の変容が起こるのかがわからん。ルーセルの『アフリカの印象』は未読なのでそこから例を取ることはできないが、R・D・レインの"Knots"(『結ぼれ』)から埋め込みの例をあげてみる。


So Jill does not know
    she does not know
  that Jack does not know
  that Jill thinks
  that Jack does know
and Jack does not know he does not know
  that Jill does not know she does not know
  that Jack does not know
    that Jill thinks Jack knows
what Jack thinks he does not know
かなり複雑であるにせよ、十分な時間をかければ理解できる文だ。そもそもチョムスキー的な普遍文法では、理論的には無限の埋め込みがもちろん可能だ。つまるところ、一定ステップ以上の埋め込み文を理解できないのは、言語の限界ではなくて短期記憶か何かの限界だと思われる。*1実際ワトスンも作中で以上の点について触れているのだが、その後の展開でこの事実がおさえられていないような。むしろサピア=ウォーフ流の展開。

*1:これはプログラムにおける再帰が理論的には無限に実行しうるが、現実にはメモリの限界に制約されるのと同様。