アンナ・ポリトコフスカヤ『チェチェン やめられない戦争』 ISBN:4140808918

北オセチアの学校占拠事件は最悪の結果になった。なぜこんなことが起こってしまったのか、当然の疑問の声があがっている。そして、その際になされるほとんど反射的な回答は「チェチェンでもロシア連邦軍による蛮行が繰り広げられている」「民間人に対する不当逮捕・虐待・拷問・暴行・虐殺が相次いでいる」──このようなものだろう。これらの答えはまぎれもなく正しい。だが同時に予期され、期待された通りの答えでもあり、実質的にはほとんど顧慮されることはないのではないか。更にロシア政府によるメディア規制と秘密主義のため出来事の詳細はなかなか明らかにならず、状況についても図式的な理解に留まりがちだ。そして理解が図式的であれば、「テロとの戦い」のような空疎なスローガンに易々と絡め取られることになる。
チェチェン やめられない戦争』はそうした危険を避ける一助となる。本書はロシア人ジャーナリストであるアンナ・ポリトコフスカヤ経歴)が第二次チェチェン戦争開始前後の1999年夏からチェチェン内に派遣され、自ら死の危険を冒しながら集めた報告だ。この中でチェチェンの人々は顔を見せ、名前を名乗り、受けた苦しみを自らの口で証言する。
連邦軍に連行され、身柄の引き渡し料として金を要求される。払えなければ大抵は殺され、今度は死体の引取料として2倍を要求される。イスラムでは形式にのっとった葬儀を非常に重んじることを知っているのだ。フィルターラーゲリ(選別収容所)──あとで証拠を掴まれないように鶏小屋なり農場なりが使用された──で電気拷問を受けた16歳の少年マゴメド・イジコフは脚と腎臓をやられいまだに満足に動けなかった。老婆のロジータは零下5度のなか1m20cmの穴牢に入れられた。もちろん収容所から出るにもたいてい金が必要になった。「掃討作戦」と称した略奪が行われ、連邦軍は通例仕上げにモスクで糞を垂れた。グロズヌイでは「ビールなんて置いていないよ!」と言ったばかりにOMON(警察特殊部隊)に夫は殺され、自らも5発の弾丸を受けた老婆アイシャトがいた。なんとか命は取り留め、病院で筆者が彼女の写真を撮っている。ポリトコフスカヤ自身もFSBに捕まり、「汚らわしく、割愛するしかない」扱いを被った。また彼女に残虐行為を証言した人々は場合によっては殺された。密告者がいるのだ。──以上の恐ろしさと迫真性は読んでもらわねばわからない。ここでは省略した細部にこそ生命が宿っているのだから。
いずれの犯罪にもロシア側は興味を示さなかった。そもそも告発を提出した先が犯罪に関わっている場合もあった。またブダーノフ大佐事件のように訴追されたとしても、裁判過程は茶番であり、基本的にはデモンストレーションだった。
では本書は、次々と残虐行為を繰り返す連邦軍チェチェンの団結した民衆の戦いという、容易に陥りがちな二極論に染まっているだろうか?*1 いや、ポリトコフスカヤはチェチェン側の著名な人物にも仮借ない批判を浴びせる。チェチェン人の代表であるはずなのに潜伏と沈黙を深くするマスハドフ大統領、はっきりと裏切り者・卑劣漢であることを記されたバサーエフ。カディロフについては言わずもがなだ*2。名の通った政治家で信頼を持って扱われているのはマスハドフの特別代表ザカーエフと元イングーシ共和国大統領アウシェフぐらいである。連邦軍と共謀するチェチェン人のごろつき集団、ワッハーブ派の強盗ども(「あごひげ」と呼ばれ軽蔑されている)についても言及を避けることはない。 
彼女が同情と敬意を向けるのは一般市民、特に老人や障害者、子どもなどの立場が弱く、難民として脱出すら選択できなかった人々。女性、とりわけ連邦軍にもチェチェン人にも守ってもらえず最も弱い立場に置かれたロシア人女性(そう、忘れがちだがチェチェンにもロシア人は当然住んでいる)。死の危険をものともせず活動を続ける医療関係者。良くて失職、悪くすれば死を迎えることを承知で、人々を助けたり、残虐行為の告発を行う連邦軍兵士。この何人かの兵士たちがみせた人間性はとりわけ感動的だ。
最後にあざといやり口であることは承知で、ある子どもの言葉を引用したい。コムソモーリスコエ村はチェチェンの野戦司令官ルスラン・ゲラーエフの故郷だったため、完膚無きまでに破壊された。その廃墟でぎりぎりの生活を続ける──子供たちは靴もない──一家の長男である少年イーサの言葉だ。イーサはロシア人である著者の前ではロシア語を話そうとはせず、母親が(チェチェン語から)通訳しなければならなかった。

プーチンはなぜアメリカの犠牲者には黙祷を捧げようと言ったのに、なんの罪もなく殺されていくチェチェン人については何も言わないのか? どうして洪水で流されたレンスク市のことはこんなに大騒ぎをして、ショイグ非常事態相は大統領にレンスクの街を再建しますと約束するのに、チェチェンではすべてが破壊されていても誰も何も約束してくれないのか? どうして、原子力潜水艦「クルスク」の乗組員が死んでいくといって、国全体が震撼させられたのに、コムソモーリスコエ村から逃げだした人々が畑で何日間も銃殺されて続けても、あなたがたは黙っていたのか?

追記。上のを読むとチェチェンの人々が受けた蛮行の証言と記録のみで構成されているように感じるかもしれませんが、実際は後半に進むにしたがって分析的な記述も見られます。おおざっぱに言えば第2部は戦争がロシアに与えた影響、第3部は戦争が継続する原因と戦争の各プレイヤーの関係についてです。また英語版で追加されたアメリカ人による社会科学的論考も付されています。

*1:あえて言えば──もちろんすばらしい活動にたいして尊敬の念を惜しまない上でだが──チェチェン情報についての主導的な2つのサイト「チェチェン総合情報」「Chechen Watch」はこの非難を免れていないと感じる。

*2:そもそもこいつがロシアに対する聖戦を宣言した張本人じゃなかったのか? なんでロシアの下で大統領になってやがるんだ?