Abdullah Çatli

調べた結果、Cにヒゲがついてるので、トルコ語ではちゃ行発音。ということだとアブドゥラー・チャトリでいいのかな? 
しかし日本語ではネット上に全く情報がないな。ブルース・スターリングの"Tomorrow Now"の4章"The Soldier"は未来の戦争を率いる指導者とはどのような人物であるか、その例示としてこのチャトリと、チェチェンのシャミル・バサーエフユーゴスラビアのアルカン(ゼリコ・ラズナトビッチ)の3人が取りあげられている。後者2人は結構日本語の情報ものってるんだが(バサーエフチェチェン紛争、アルカンはサッカー関連)、チャトリについてはゼロ。つうか自分のサイトしか引っかからなかった。
ということで、ざっとその生涯を追ってみる。人物の性格が性格だし、きちんと裏取りすると泥沼にはまりそうなので、適当にまとめるだけで勘弁。しかし以下はスターリングの言によればチャトリの死亡後にトルコ議会の調査と公聴会で明らかになっている事実であるとのこと。もっと噂レベルの話ならいくらでも付け加えることができるらしい。

  • 1955年トルコに生まれる。
  • 10代のころ、汎トルコ主義極右団体《灰色狼》に加わる。ほどなくアンカラ支部の議長に。
  • 大学時代にマルクス主義者を数名爆殺。不在裁判で有罪になるが刑務所には入らず。
  • 1978年《灰色狼》の脱獄計画を発案。12名の脱獄に成功。
  • 79年、左翼新聞編集者を殺害し、刑務所入りしていた同じく《灰色狼》のメフメト・アリ・アジャを脱獄させ、ブルガリアに逃がす。2年後アジャは教皇を狙撃
  • 1980年代あたりからアルメニア人テロ組織の要人暗殺を開始。またヘロインの密輸もはじめる。
  • 1982年、ヘロイン密輸のためスイスで拘留される。だが公判前に脱出に成功。
  • 再びパリで逮捕。6年刑務所で過ごす。1990年スイスに移送されるとなぜか再び脱獄に成功。
  • この頃に前後して目標をクルド人に切り替える。トルコのSpecial Warfare DepartmentやSpecial Forces Commandの下で活動。
  • 麻薬・武器密輸、ゆすりなどの事業を拡大。1992年には守り代を払わなかったカジノ・オーナーOmer Kaanを殺害。これ以降トルコの全カジノがチャトリの言いなりになる。
  • 1995年アゼルバイジャンの大統領Heydar Alievの暗殺未遂にも関わったとの噂。Alievがアゼルバイジャン国内のトルコカジノを一掃しようとしたため。
  • 1996年カジノからメディア業界へ。TV界の大物事業家Mehmet Ali Yaprakを誘拐、400万ドイツマルクの身代金をせしめる。
  • 同年7月、新聞紙のコラムニストを殺害。
  • 同年同月、イスタンブールのカジノオーナーを3人の警察官とともに白昼堂々殺害。殺害したオーナーの財産を諜報部と分割し、イスタンブールシェラトン・ホテルのカジノを手に入れる。
  • トルコのパイプライン会社BOTASの幹部社員に。
  • 1996年12月交通事故で死亡。同乗のトルコ警察学校の校長と、チャトリのガールフレンド「ミス・トルコ・シネマ」のGonca Usも死亡。車からコカイン、偽造パスポート多数、大量の火器が発見され、トルコ議会の調査がついにはじまる。