ミシェル・ウエルベック『素粒子』

アマゾンで古本を買って読んだよ。
プロローグの書き出しが下手クソな上に(一応最後に物語の形式上の種あかしはあるが)、誇大妄想的マンボジャンボを打ち上げ、しかも失笑ものの詩があとに続く。公平さを期すため引用してみようか。

本書は何よりもまず一人の男の物語である。男は人生の大部分を、二十世紀後半の西欧で生きた。ほとんどいつも孤独だったが、ときには他の人間たちと関係を持つこともあった。男の生きた時代は不幸で、混乱した時代だった。

形而上学的変異はひとたび生じるや、さしたる抵抗にも会わず行き着くところまで行き着く。既存の政治・経済システムや審美的見解、社会的ヒエラルキーを容赦なく一掃してしまう。その流れはいかなる人間の力によっても止めることができない。

われわれは今日、まったくの新体制下に暮らし、
様々な状況の絡み合いがわれわれの体を包み、
われわれの体を浸す、
輝く喜びのうちに。

特に詩は限度を越えており、ああ地雷を踏んだかな? と思ったが、本編にはいると引き込まれ、スルスルと読み終わってしまった。堂々たる陳腐と俗悪さというか、ビッグプロブレムを恐れない態度というか、高校のときに読んだコリン・ウィルソンアウトサイダー』の最初の2、3章を思い出した。特に性的欲望が話の中心であることから、バルビュスの『地獄』を。あらすじについては東浩紀の書評を見てほしい。物語の中心にあるのは、唯物主義的、個人主義的な後期資本主義社会における愛の不可能性だ(笑うなよ)。その苦しみを<もてない男>として一身に背負うのが、文系のブリュノ。SF的解決策を提示するのが理系のミシェルとなる。
しかしSF的解決策はどうでもよくて、ブリュノの性的遍歴(性的非遍歴というべきか)と妄想のあけすけな告白、その途上で行われるニューエイジや68年の革命への辛辣で厭らしい笑いに満ちた批判こそが眼目だ。特にニューエイジキャンプでの一幕は馬鹿馬鹿しさと、同時に哀しさに満ちており、本書の白眉といえる。
ところで、解説読んだら、ラヴクラフトについての評論の副題は「世界に反対し、人生に反対して」というらしい。ある意味ではレースに2周も3周も遅れているような男だな。この男が書いた本作がフランスで大反響を巻き起こしたのか・・・やはり『アウトサイダー』がブームになったようなもんか? まあ結局面白かったがウエルベックはクソ野郎だと思う。
あ、専門用語に誤訳らしきものがいくつかあった。気づいたのは3つぐらい(「最初の数」って「素数」のこと?)。