Adam Hochschild "King Leopold's Ghost" ISBN:0618001905

『戦争請負会社』を読み終わって、アフリカのコロニアリズム期に関心が出てきた。世界史の授業でもこの辺はセシル・ローズやらエジプトやらにちょっと触れたぐらいでほとんど知らないし。
そこで『戦争〜』でもビブリオであげられていた上の本を買ってみる。そういえば町山智浩『〈映画の見方〉がわかる本』ISBN:4896916603れていた。『地獄の黙示録』>『闇の奥』流れで。このレオポルド支配下コンゴで400万から800万人が殺されたという。
まあ、自分一人興奮しててもなんなので、序文を一部ざっと訳してみた。


〜序〜
 この物語のはじまりは遠い昔に遡り、その反響は今日まで止むことがない。だが私にとっては、物語の中心となる瞬間、前後数十年にわたる長い年月に光を投じる輝ける瞬間とは、ある若い男が突然の道徳的認識を得る時点である。
 1897年か1898年のことだ。海峡横断汽船からきびきびとした足取りで下船する男を思い浮かべてほしい。力強くたくましい20代中盤の男で、カイゼルひげを生やしている。自信に満ち、話しぶりも上品だが、彼の英語はイートン校やオックスフォードで磨かれたわけではない。身なりはきちんとしてはいるにせよ、ボンド・ストリートの高級服飾店とは無縁だ。病身の母親に、妻と増えゆく扶養家族を抱えており、どうみても理想主義的な運動に熱をあげるタイプではなかった。心にある考えもどこまでも平凡。見たところ──そして実際にも──頭のてっぺんからつま先まで、真面目でまともなビジネスマンといった風情だった。
 エドマンド・ディーン・モレルはリバプールの海運会社の信頼篤い従業員で、その海運会社の子会社がコンゴ自由国の輸出入船舶について独占権を有していた。当時コンゴ自由国と呼ばれていたのは中央アフリカの広大な地域で、1人の男が個人的に領有する世界で唯一の植民地だった。男の名はベルギー王レオポルド2世、“人道主義的”君主としてヨーロッパ中で広く賞賛を受けていた。レオポルド2世は新しい植民地にキリスト教伝道団を迎え入れ、自らの軍隊を用いて地元住民を食い物にしていた一帯の奴隷商人を打ち負かしたと言われていた。アフリカ人の利益のために私財をなげうって公共建設事業をおし進める王に対して、10年以上にわたってヨーロッパの新聞各紙は礼賛の記事を載せ続けた。
 モレルは流暢にフランス語を話せたので、海運会社は数週間に1度、モレルをベルギーにおくり、コンゴ路船の荷下ろしと荷積みの監督にあたらせた。一緒に業務に携わった役人のほうは、この船荷取引を数年間取り扱ってきて今まで疑問を持つこともなかったが、モレルは心を乱す事実に気づきはじめた。アントワープの大きな港のドックで、社の船が高価なゴムと象牙を船倉の昇降口ぎりぎりまで満載して到着するのを見守る。しかし、船が係留の太綱を解きコンゴに戻るとき、軍楽隊は桟橋で演奏し、若い軍人たちが船の横木に列をなしたが、船の積荷は兵士、火器、弾薬がほとんどだった。交易など行われていない。ゴムと象牙の交換の品として、ほとんど、あるいは何も渡していない。これらの富が蒸気船でヨーロッパに運びこまれていながら、その支払いとしてアフリカにはほとんど何も送られていないことを見てとったモレルは、この富の出所の説明としてただ1つしか考え浮かばなかった──奴隷労働だ。
 巨悪に正面から相対したモレルだが、背を向けはしなかった。それどころか、モレルの見たものは彼のこれからの人生を方向づけるとともに、ある並はずれた運動の行く末も決定したのだった。それが20世紀における国際的な人権運動の最初の1つである。ただ1人の人間が──情熱的で雄弁、組織作りのすばらしい才能に恵まれ、超人的な行動力を備えていたにせよ──ほとんど独力で、ある問題について10年以上にもわたり、世界の新聞の第一面に取り上げさせることなど、まずありえない話だ。アントワープのドックに立った時から2、3年もしないうちに、モレルはホワイトハウスを訪れ、合衆国はコンゴに対し何か行動をおこす特別の責任があるとセオドア・ルーズベルト大統領に力説した。英国外務省に対しては代表団を組織した。ブッカー・T・ワシントン*1からアナトール・フランスカンタベリー大司教まで、あらゆる人間を動員した。合衆国ではコンゴの奴隷労働に反対して200以上の大規模集会が開かれた。イギリスではより多くの集会が催され──運動の最盛期には年に300近く──1度に最大5000人が集まった。ロンドンではコンゴ問題に抗議を表明する公開書簡が「タイムズ」に送られ、署名には11人の貴族、17人の司教、76人の議員、7人の商工会議所の長、大新聞の編集者13人、そして大都市市長(Lord Mayor)全員の名があった。レオポルド王の恐ろしい所業の話は遠くオーストラリアまで聞こえ、イタリアでは問題を巡って決闘も起こっている。英国外相サー・エドワード・グレイは大げさな表現をする人間ではないが、「少なくとも30年のあいだ、これほどまでに強力、かつまた熱烈にわが国を揺り動かした外国問題はほかにない」と断言した。
(…中略…)
 運動に火をつけたのはたしかにエドマンド・ディーン・モレルである。だが、レオポルドのコンゴの実態を見、世界の注意を集めようと奮闘したよそ者は彼が最初ではなかった。その役割を担ったのは米国の黒人ジャーナリストにして歴史家のジョージ・ワシントン・ウィリアムズで、白人の征服者のもとでの経験についてアフリカ人にインタビューするという以前は誰もしなかったことをした。またもう1人の米国黒人ウィリアム・シェパードはコンゴ熱帯雨林で遭遇した場面を記録し、この記録は植民地の暴虐の象徴として世界の意識に焼き付けられた。他にも英雄はおり、なかでももっとも勇敢な者の1人はロンドンの絞首台で生涯を終えている。そしてもちろん、物語の中頃では若き船長ジョーゼフ・コンラッドが船に乗って登場する。子供時代の夢を異国アフリカに期待した彼が代わりに見いだしたのは「人間意識の発展史を損なう事例のなかでも最悪下劣の、略奪目当ての押し合いへし合い」だった。だが、彼らすべてを圧して聳えたつのはベルギー王レオポルド2世その人であり、強欲と狡知、二枚舌と魅力に満ちた複雑な性格は、シェイクスピア劇の悪役の誰と比べても遜色ない。
(…後略…)
うわー、面白そうだ! ……興奮してるのはまた俺だけか?

*1:奴隷から身を起こした黒人教育の先駆者。